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誰を愛して、誰を良く見せたいのか? 『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』(監督:エリザベス宮地)感想

  エリザベス宮地監督によるBiSHのドキュメンタリー映画『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』を観てきました。宮地監督とWACK社長である渡辺淳之介の関わりはそれなりに古く、宮地監督はBiSキャノンボールのメイキングを担当した頃から渡辺氏の仕事を近くで見てきています。その後、WACKオーディションでカメラクルーとして関わったり、『SiS消滅の詩』の監督を務めたほか、スペースシャワーTVで放映された『The Documentary of WACKオーディション ~オーケストラ物語~』でも監督を務めました。今作は、「オーケストラ物語」のその先までを描くとともに、来年に公開を控えている『劇場版アイドルキャノンボール2017』の予告をも含んだ映像作品となっていました。

 今作が普通のアイドルドキュメンタリーと違うのは、宮地監督のセルフドキュメンタリーとして撮られているという点だと思いますBiSHの密着映像がふんだんに盛り込まれているんだけれども、宮地監督自身の、カメラを回すことに対する哲学も同時に展開されていくという。アイドルドキュメンタリーのあり方を脱臼させる怪作に仕上がっています。

 感想を一言で言うと、良作だったと思います。メンバーの良い顔がたくさん収められていて、素敵な映像作品だったと思います。他方で、「どうしてこの場面を入れたのだろう?」と不思議に思うシーンもなかったわけではありません。宮地監督の頭の中の宇宙に乗れるか乗れないか、人を選ぶかもしれない「ノイズ」が含まれているのも確かだと思います。「オーケストラ物語」よりも良かったかと問われたら、素直にうなずくことができない感じです。

 それでは、ネタバレを多分に含むことになりますが、『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』の感想をつづりたいと思います。ネタバレは嫌だという方は、鑑賞なさるまでこの先は読まないことをおすすめします。

 

 

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 映画は、アイナ・ジ・エンドが満開の桜の下で踊るシーンから始まります。谷川俊太郎の詩を朗読するナレーションと、アイナちゃんのダンス。自分が思いを寄せている女の子に出演してもらって撮った学生映画のような手触りを持った映像から始まりました。最初はキョトンとしてしまいましたが、映画を最後まで見終えた後は、映画の終盤に起こるちょっとしたトラブルに向けた伏線として、この場面が据えられたのだろうという結論に至りました。

 続いて、この映画が撮られるきっかけとなった、渡辺淳之介さんへのプレゼンの場面へ移ります。そして、BiSHと宮地さんとの出会いと、WACKオーディションの振り返りへ。この辺りは、「The Documentary of WACKオーディション ~オーケストラ物語~」のダイジェスト&「劇場版アイドルキャノンボール2017」の長い予告編といった感じでした。

 アイドルキャノンボールにおいて、宮地監督はBiSHに密着することを選ぶのですが、その動機を要約すると、「メンバーには興味はないけど、候補者の中にハメ撮りまで持ち込めそうな女の子がいるから」という邪な理由でした。映画の中では「下心」と正直に告白されます。やがて、密着を続けるうちに宮地監督はアイナちゃんを本気で好きになっていくのですが、この辺から宮地監督のセルフドキュメンタリーとしての側面が前面に押し出されていきます。

 「オーケストラ物語」でも印象的に取り上げられていましたが、自分が預かったオーディション参加者を落としたくないと思い、何度も涙を流しながら熱く指導を続けるアイナちゃんの姿は、改めて見ても本当に素敵でした。「人を愛して、その人を良く見せることがアイナにできる特技なんで」と彼女が発言する場面は、間違いなくこの映画のハイライトの一つですが、こうしたことを言えるアイドルがこの世界に他に何人いることでしょう。おそらく、自分の「歌割り」や「立ち位置」や「尺」を脅かすライバルとしてしか新メンバーを捉えられないアイドルが大多数だと思うのです。オーディション参加者に優しくできるだけの心の余裕があるのは、自分の実力に対して自信をしっかりと持てていることの裏返しでもあると思うのですが、それを差し引いても本当に人間ができた子だと思いました!

 結局、善戦むなしくBiSHは「オーケストラ」を奪われてしまうのですが、最終日の朝にポイントにはならないにもかかわらずマラソンに参加するBiSHの二人の姿にも感動しました。そして、そのマラソンの風景と共にようやく映画タイトルのクレジットが現れます。この始まり方にはめちゃくちゃ感動しました。

 その後は、「オーケストラ物語」とほぼ同様の流れでオーディション終了と、赤レンガ倉庫でのWACKユニット合同ライブまでの映像が続きました。アイナちゃんと二人で観覧車に乗っているくだりは、アイナ・ジ・エンドの可愛さが凝縮された名場面でした。しかし、首をかしげざるを得なかったのは、アイドルキャノンボールで全然結果を残せなかった宮地監督が号泣している場面です。なぜあれを入れたの? なんであんなに泣いているのかほとんど説明されないし、キョトンとせざるを得なかったです。「アイドルキャノンボール」を観れば、監督があれほどまでに号泣していた理由が明らかになるのでしょうけど、「『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』を観るお客さんは、どうせ『劇場版アイドルキャノンボール2017』も観るでしょ?」という甘えしか感じられなかった。そこに向けての「引き」はいらなかったです。いたずらに作品をハイコンテクストなものにして、作品をカルト化させかねない手法だと思います。この場面に限らず、その後もちょこちょことノイズのようなシーンが挿入されてくことになるのですが、BiSHのドキュメンタリーとして、「オーケストラ物語」以上の感動を得ることは正直できませんでした。アイナちゃんの言った「人を愛して、その人を良く見せる」という言葉を引き合いに出して評するならば、「愛を向けるべき対象が拡散してしまい、誰を良く見せたいのか分からなくなってしまっている」という場面が時々見受けられたのが、今回の『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』だったのではないかと思いました。(※おそらくこの点は、宮地監督の博愛主義的な優しい人柄が裏目に出た部分なのかもしれません。

 幕張メッセまでの記録映像はすごく良かったです。とても素敵なBiSHの成長物語! MC中のコントを自分たちで考えて、渡辺淳之介による助言が必要ないほどに面白いものを作っていく過程とか、鳥肌が立ちました。「僕が考える必要が全くない」と渡辺氏に言わしめるなんて。幕張の前日のメンバーの表情もすごく良かった。モモコグミカンパニーが読んでいた本が村上春樹羊をめぐる冒険』だったのに萌えました(笑)

 

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

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 幕張メッセのライブ後もカメラは回り続けるのですが、BiSHメンバーの打ち上げに密着した映像は緊張感が半端なかったです。撮れ高稼ぎを焦った宮地監督が、アユニ・Dによる映像制作を強く迫りすぎた結果、彼女を泣かせてしまうんですけど、この場面を観て怒ったオタクもいるんじゃないかというくらいマジ泣き。そんな中、泣き出すアユニ・Dちゃんと、困惑する宮地監督と、フォローするメンバーをよそに、すっかり酔っぱらった顔でお勘定をそっとテーブルに置くモモコグミカンパニー。最高でした。

 映画冒頭の自主製作映画じみた映像は、映像製作を無理強いした結果アユニ・Dちゃんを泣かせてしまったことへの反省として、監督が自分自身でそれらしいことをやってみたという形での贖罪の映像(「アユニDに無理強いするなら、テメーが撮れよ宮地!」みたいな、予測されるオタクの怒りの声に先回りして答えた的な。私の考えすぎかもしれませんが。)なのではないかと私は解釈しました。

「BiSHのためではなくて映画のためにカメラを回してしまっていた」という宮地監督の反省がそこで述べられるのですが、ここでようやく、この映画がBiSHのドキュメンタリーとしてはどうもいまいちグッと来なかった理由に合点がいきました。『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』は、壮大な反省を描いたドキュメンタリーだったのだと。そういった反省や、自分がみっともなく泣いたり悩んだりする姿を恥ずかしがることなく晒していく構成からは、宮地監督の誠実な人柄を感じました。BiSHのドキュメンタリーとしてこの映画を観ることは、必ずしも誤りではないけれども、どこかで肩透かしを食らうことになると思います。監督のセルフドキュメンタリーであることは冒頭で示されるので、そこをしっかりと留意したうえで鑑賞しないと、ガッカリしてしまうでしょう。私もうっかりして、途中までそのことを失念してしまっていましたが、アユニ・Dの涙とその後の反省のシーンでハッと我に返りました。セルフドキュメンタリーとして、間違いなく素晴らしい作品であると思います。だからこそ、「アイドルキャノンボール」への「引き」が、不要に感じられたのだと思います。監督のプランではなくて、「興行主」のプランが見え隠れしたとでもいいましょうか。「アイドルキャノンボール」に参加することが無ければ、アイナちゃんへの淡い恋だとか、その後の悩み尽くしのBiSH密着もありえなかったのだとしても、それでもなお、少し残念です。

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以上、偉そうなことをほざいてしまいすいません・・・。大変素晴らしい映画でした。宮地監督の取る映像、マジで大好きです。平賀さち枝さんの「江の島」のMVを観た時から好きでした。

明日、12月23日からは池袋で公開が始まるほか、全国の各所で上映される予定だそうなので、多くの人に観られればいいなと思います。

 


BiSH ドキュメンタリー映画『ALL YOU NEED is PUNK and LOVE』12/9(土)公開!

 

 

 

 

 

 

 

おやすみホログラム「それから」と「note」を聴きこむと、2つの最新EPのコンセプトがよく分かるという話

 今年は、おやすみホログラムの最新EP『15』と『17』が発売されました。私はおやすみホログラムの歌詞がとても好きで、どれくらい好きかというと、歌詞の分析本を作ってブートバザーで売り出してしまうくらいには大好きです。次のブートバザー開催のお知らせがいつ出てもいいように、密かに第2弾の編集作業を進めていたりします・・・笑 『15』と『17』に収められた新曲の歌詞についても自分なりに精読していて、少し面白いことに気が付いたのでブログをしたためたいと思います。

 『15』と『17』は、おやすみホログラムにとっては初めての、コンセプトを持った作品です。おやホロのプロデューサーであるオガワコウイチ氏は以前、アルバムのタイトルの決め方について、次のように発言していました。

 

前回が『2』。今回が『・・・』(スリー)なんですけど。本当はそういうのも付けたくなくて、全部おやすみホログラムにしたいんですけど、管理上ナンバリングしないと管理がしづらいということで、仕方なく付けてて。だからコンセプトは無いっちゃ無いんですよ。たぶんコンセプトアルバムになったら名前が付くはずです

(2016年11月10日『・・・』爆音試聴会@dues新宿での発言より)

 

 『15』『17』はアルバムではありませんが、おやホロ史上初めて形式的なナンバリングとは関係ないところで名前が付けられた作品です。リリースに先立って、オガワコウイチ氏は両作品のコンセプトを次のように説明していました。

 

今回おやすみホログラムは「15」と「17」というEPを二枚同時リリースすることにしました。

15はバンドでレコーディングしたバンド作品。 17は僕が全て演奏し、打ち込んだ宅録作品。

つまりは15才と17才のEPだということ。 調べてみるといろんなアーティストが15と17について歌ってるんだよね。 僕もそうで15才の時にロックと出会い(それまではヒップホップ、ATCQとかNas、日本だとブッダブランド)なんかに傾倒してた。 それを壊してくれたのがソニックユースダイナソージュニア、BECKスーパーカー、この四組が大きい。 ギター買ってディストーションかって家で鳴らしてる感じ、ああもうなんでもできるじゃん、早く皆の前でやりてーっていう感じ。 実際田舎の高校だしソニックユースとか聴いてる人もあまりいなくて、いたとしても楽器をできるやつはさらに少ないから段々と曇って行くんだよね。 17才になるくらいの頃にはバンドやろうなんて気持ちも萎えてなんか世間って難しいなーとバイトばかりの日々を過ごした。 そう考えると確かに15で世界は光りだすんだけど、17の頃には少し濁り出していたようなきがした。 多分その二年間で人は自分を測るんだと思う。 自分の限界に気付くんだと思う。 この2つのEPは希望から始まった諦観と、じゃあそれから?っていう意味が込められた作品です。 これを聴いてくれる人の15才や17才が何年前かは知らないけど、多分そんなに根本は変わってないと思いますよ。

 

ゆらゆら帝国/19か20

15で世界は光りだし 19か20で終わりそう

  (公式ページより)

 

 バンド作品の『15』では「それから」「ghosting」の2曲が、『17』では「slow dancer」「Lemon」「Mother」「Hole of my underground」の4曲がそれぞれ新曲として収められています。その他にも収録曲はありますが、それらは、既存曲を新たにレコーディングしたものかアレンジ違いのものです。この記事では、『15』収録の新曲「それから」の歌詞について考察してみたいと思います。

 「それから」は、おやすみホログラムの楽曲の中でも、季節が明確に刻印された数少ない曲の一つです。「夏の終わり」というフレーズが確認できます。

 

夏の終わりよく晴れた光の中

僕は汗もかかず息も切らさずに漂う

「それから」

 

 この曲の他に季節や時期が特定できる歌詞を持っているのは「note」(「僕のモノクロームの世界が淡くにじんだ冬の日」)と「11」(「11月がやけに優しくて参るな」)のみであり、「春夏秋冬」がはっきりと記されている曲に関して言えば、「note」と「それから」以外には発表されていません。その意味で、「それから」と「note」はやはりセットで解釈したくなる曲です。『15』に「note」の新バージョンも一緒に収録されていることは、おそらく偶然ではないのだと思います。

 オガワ氏は『15』『17』を「希望から始まった諦観と、じゃあそれから?っていう意味が込められた作品」だとしていますが、「note」には「希望から始まった諦観」に至るまでの絶望と未練が描かれているように解釈することができます。次に引用する、冒頭部分の「思い出になってたまるか」は、「君」を過去のものにはさせまいという意志の表明であり、それがたとえ儚い望みにすぎないとしても、「希望」の言葉であると言えます。

 

君がふとかさねた色とか、遠くを見る仕草や

捨ててしまったノートが、思い出になってたまるか

「note」

 

 後半部分では、次の引用にある通り、「僕」が「初めての絶望」を経験したことが示されるのですが、先ほどの引用部分と併せてこれはまさに「希望から始まった諦観」に至る前の一撃と呼ぶにふさわしいでしょう。責任を「君」に転嫁して逃げ回るくだりには、痛々しささえあります。「note」にはある種の「未成熟性」のようなものも刷り込まれていると言えます(「アイドル」と「未成熟」は、しばしば結び付けられて論じられますが、この点は、おやホロのオタクに限らず他所のオタクにも「note」のファンが多いことと、何らかの関係があるかもしれません)。

 

初めての絶望は少し甘い味がする

全てが透き通って、ああ、触れられないんだ

絡まって逃げ回って、息を切らしている

全部君のせいにして

「note」

 

 
【MV】note/おやすみホログラム

 

 「それから」はそのタイトルが示す通り、諦観に至ったのちの「それから」が描かれているように解釈することができる曲になっています。というのも、この歌には「君」が一切登場しないからです。「あの人」というフレーズは登場するものの、二人称の呼びかけ「君」と比べるとよそよそしく、心理的な距離を感じる言い回しです。「それから」の時間軸は、「君」のことを考えながら煩悶していた「note」とは対照的な空気で満たされています。

 

終わりが無かった世界で僕は終わりを探した

すぐに見つかったのに見えないフリをした

(略)

僕はそんな世界を望んでは

都合の悪い世界のぬるい海で泳ぐ

「それから」

 

 「終わりが無かった世界」の「終わり」をすぐに見つけたうえで、「見えないフリ」をしたり、「都合の悪い世界」を自ら望み、その世界の「ぬるい海で泳」いだりといった振る舞いは、少なくとも、夢見がちで未成熟な15歳の少年がするような振る舞いではないでしょう。「夏」と「冬」という季節の違いからして、すでに対照的な両曲ですが、「note」と「それから」の間には、その他にも対になるフレーズを数多く見出すことができます。すでに引用した箇所と重複する部分もありますが、改めてそれぞれ比較分析してみたいと思います。まずは次のフレーズから。

 

君のモノクロームの世界が濡れてしまった雨の日

「note」

 

終わらない世界は雨の無い世界で僕を残して同じところを回るだけ

「それから」

 

 おやホロの詞にはあまり「雨」は出てこないのですが、その「雨」の有無に対照性が見られるのは意味深長です。「それから」で描かれている「雨の無い」カラリとした世界は、メソメソした雰囲気の「note」の世界とは一線を画しており、諦観の先の「じゃあそれから?」というイメージにマッチしていると言えるでしょう。未成熟な「note」と、成熟した「それから」とでも言えるような対照性が、両者の間にはあるのです。次に引用するフレーズも対照的です。

 

絡まって逃げ回って、息を切らしている

「note」

 

 僕は汗もかかず息も切らさずに漂う

「それから」

 

 「息を切らして」狼狽してしまうのが「note」で、「息も切らさずに漂う」ことができるだけの落ち着きを持っているのが「それから」。これらの対照的なフレーズからも成熟と未成熟のイメージを連想できます。「それから」の「僕」は「君」のことを想ってメソメソすることはなく、世界を一人で「漂う」術を身につけた(あるいは、「身につけてしまった」と言うべきか)成熟した存在なのです。このことは、「繰り返し」という言葉を含む次のフレーズの中に最も決定的に表れています。

 

息が白くなって なんだか空っぽ

今日を繰り返していく

「note」

 

目覚めたら何回も繰り返した時間が繋がって

あの人も少しずつ磨り減った

「それから」

 

 「note」の「僕」は、「空っぽ」と形容されるほどの喪失感を抱えて日常を繰り返しています。この喪失感は、言うまでもなく「君」を失ったことによるものでしょう。それに対し、「それから」の「僕」には、そもそも「君」と呼びうる相手はすでにいません。「君」は、よそよそしい「あの人」という呼び名で呼ばれるような心理的距離の先におり、しかも、繰り返した時間の中で「磨り減った」と歌われています。手の届かない「君」に対する未練を乗り越えた先の、諦観の境地にいる「僕」の姿が描かれているのです。


20170803 おやすみホログラム / それから @下北沢BasementBar ※初披露

 

 オガワ氏が二つのEPに込めた「希望から始まった諦観と、じゃあそれから?」というモチーフは、「それから」と「note」の対照性の中に凝縮されています。すでに音源をお持ちの方は、そういったことを頭の片隅に置きながらあらためて『15』を聴いてみると、また違った味わいがあるかもしれません。一方の『17』はどのようなEPなのか。その辺りも想像してみるととても楽しいです。その他の新曲については、『おやホロスタディーズ2』でまとめられればと思います。以前出したものの増補改訂版ではありますが、すでに15万字以上の分量に膨れ上がっているので、早く本の形にしたいものです。

 一番言いたいことは何かというと、こんなに深い世界観と素敵なメロディを生み出し続けているおやすみホログラムを、みなさんにもっと広く聴いていただけたら嬉しいなということです。3年以上前の過去の曲と、最新の曲の歌詞が繋がっているって面白くないですか?

 

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 ↓このジャケットのカッコよさ!

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