もしもし、そこの読者さま

ライブアイドルのライブレポ、Sexyzoneのライブレポ、映画・舞台・本などの感想などなど

世界が交差する5thアルバム おやすみホログラム『5』

  おやすみホログラムの最新アルバム『5』がついにリリースされた。今回のアルバムはDJセット仕様の楽曲のみで構成されている。前作『4』は、1stアルバムのアップデートのような作り方をしたとオガワ氏が以前言っていたが、今回は『・・・』のアップデートなのだろうか(生まれ変わった「friday」が収録されているから、そんな気がしていますが、どうなのでしょう)。 
 
アルバムのテーマに関しては、作るときにまずは自分に「縛り」をかけるところから始めるんですよ。1stだったら、予算をかけられないから、汚い音にしてその中で良いものを作る。『2』だったら打ち込みを入れる。『・・・』の時には、バンドセットを解体したから、振り切ってバンドゼロにしてギターも全く使わないっていう作り方をしたんです。『4』は、ギターを弾くっていうのがテーマ。
(中略)
(『4』は)一番良いアルバムにしようというところから始まったから、音楽的に攻めるというよりは、曲が良くて二人の声がちゃんと聞こえるアルバムにしようと思った。だから、作り方は1stアルバムとけっこう近いんだよね。曲の並びとか。最初にバンドの曲があって、それから打ち込みがあって、みたいな。1stアルバムをアップデートしたような作り方をしたんです。
(『4』試聴会のオガワコウイチの発言より) 
  ちなみに、収録曲の中には、『・・・』に収められていた曲や、アメリカツアー限定で発売された『27』に収められていた曲も含まれているが、Bloc Partyラッセル氏が参加したことで完全に生まれ変わっている。
 本エントリでは『5』収録曲の歌詞について、おやホロがこれまで発表した楽曲との関連性などを見出すことを中心的な作業としつつ、読み解いていきたい。
 6月4日から開幕したリリースツアーが盛り上がっていくことを祈念しつつ!

************
 今作の収録曲の全体的な特徴としては、これまでの楽曲では滅多に見られなかった「火」のモチーフがたびたび登場していることが挙げられる(新曲9曲のうち、4曲に「火」「燃やす」「燃える」の言葉が使われている)。前作『4』は水や雨のモチーフが多く見られた(歌詞がある9曲のうち、6曲に「水」もしくは「雨」の言葉が含まれている。今作『5』ではかなり減っている)。
 また、「夜」のモチーフの多さは、前作『4』がピークであった(9曲中8曲)が、今作では9曲中6曲にそれを確認することができる。これは、1stアルバムと並んで歴代2番目の多さである。 
 それでは、前置きはこの辺にして個別に歌詞を見ていきたい。
 1曲目の「happy songs」の歌詞は、「ニューロマンサー」から続く一連の世界観の延長線上にある物語と見て間違いない。「燃え落ちた」という言葉が、この曲を「ニューロマンサー」と結び付けている。また、「世界は僕だけ残して今日も廻り続けて」のフレーズは、同じ世界観を持った作品群の一つである「iron」(『4』に収録)とつながっている。並べて見てみると分かりやすい(傍線は引用者による。以下同じ)。
 
燃え落ちた君の世界の淵に立って
君の口癖を思い出した
変わっていく世界は僕だけ残して
今日も廻り続けているんだ
「happy songs」

 

燃え落ちていく星の軌道上に浮かぶ見覚えのある
顔が僕を笑っていたんだ

 

そんな風に今も僕をすり減らしてる
そんな風な僕を置いて廻り続ける
(中略)
君を乗せて廻るその世界では
僕が手を振る世界は見えるかな
「iron」

 

 また、『5』の8曲目の「そんな光」には「世界の淵」とよく似た「世界の端」という言葉が登場する。さらに、「燃え続ける」という言葉も使われている。これも、「happy songs」内の「燃やし続けていく」のフレーズと意味が近しい。新曲同士の間でも、世界観の響き合いが見られるのが、今回のアルバムの特徴だと言える(これまでもずっとそうだったのかもしれないけど)。

 

僕らは燃え続ける

世界の端に座って

それから手を伸ばした

掴めるかな

「そんな光」

 

廻り続けていく終わらない世界で

何か見つけて無くしてまた探して

燃やし続けていく

頼りない僕の指先に残った消えそうな光

「happy songs」

 

燃え落ちた君の世界の淵に立って
「happy songs」

 

 タイトルに「happy」という言葉が使われているのとは裏腹に、詞の内容はとても切ないのだが、終盤の「終わらない世界で何か見つけて無くしてまた探して燃やし続けていく」という決意の言葉はとてもポジティブで、胸を打たれる。「焼け野原」のような音楽業界を引っ張っていくぞ!という決意表明のようでもあり、頼もしい。

 


happy songs [おやすみホログラム] 2019/05/19 アベンズVSおやホロ@下北沢ERA

 

 3曲目の「dancing in the pool」は、おやホロの曲の中では珍しく、歌詞に季節の名称が登場する作品となっている。「真冬のプール」というフレーズがあるが、「冬」という言葉が登場するのは「note」(※「僕のモノクロームの世界が淡くにじんだ冬の日」というフレーズがある)以来おそらく2曲目である。この曲の詞世界は「note」とつながりがあるのだろうか。歌詞の内容を見てみると、「note」との関連性をうかがわせる箇所が確認できる。例えば次の部分。

 

君がどんな風に話したか覚えてる

「dancing in the pool」

 
君がふとかさねた色とか、遠くを見る仕草や
捨ててしまったノートが、思い出になってたまるか
「note」 

 

 何かを「覚えていること」が表明されるのは、おやホロの歌詞では珍しいことである。ここでは、「君」の話し方を覚えているということが述べられている。これは、「note」における、「君」の「仕草」(「話し方」も仕草の一種だ)を忘れまいとする「僕」の態度が貫かれた未来の話のように読める。

 また、次のフレーズでは「happy songs」で使われているものとよく似通った表現が使われている。さらには、『4』に収録されていた「世界の終わり」に通じる表現も見られる。

 
この不完全な世界僕らまだ
気を遣いあって呼吸をしてる
「dancing in the pool」

 

世界は不完全
この声だって
きっと君に届かずにほどけていくんだ
「happy songs」

 

君と目配せをして僕は呼吸をしてる
「世界の終わり」

 

 どうやら今作では、曲同士が一対一で対応しているアンサーソングというものは稀で、複数の曲の世界観を積極的にクロスオーバーさせていくような作詞が試みられているようである。海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」で、複数のおとぎ話(fairytail!)の登場人物たちが混在する世界が描かれていたように。
 もっとも、それなりに長く活動を続けて、たくさんの曲を発表してきたのだから、モチーフが重複してくるのは当然なのかもしれない。一人の人間が持つことのできるモチーフの数には限界がある。これまでずっとオガワコウイチ氏が作詞を担ってきたわけだが、一つの臨界点を迎えつつあるということなのかもしれない。外部の作詞者への依頼や、メンバーによる作詞などが行われることなども、今後はありうるかもしれない(また、「試聴会」みたいなトークイベントをやってくれて、話が聞けたらいいな・・・)。
 さて、4曲目の「fire」には、「ナイトランナー」という言葉が登場するが、これは1stアルバム所収の「夜走る人」と関係があるのだろうか。また、「夜」と「火」のモチーフによって、5曲目の「ghost rider」とも関連性を持っているようにも解釈できる。
 
通り過ぎてくナイトランナー
いつの日から夜を駆けてる
「fire」

 

君を飲み込む
僕の手を掴んだ
ほら、はまだ僕の手をまだ離れない
「fire」

 

あの人は眠らない、一晩中走ってる

気持ち悪い空気の膜の中、走るしかない人

「夜走る人」

 

ゴーストライダー

ナイトアンドファイア

「ghost rider」 

 
「ghost rider」には、「燃やす」「なんか都合のいい世界」という言葉が登場するのだが、これは「happy songs」や「dancing in the pool」で歌われている「不完全」な「世界」という表現を言い換えたもののように思われる。
 
愛を燃やした後にできた世界は
ねえ、なんか都合のいい世界に見えたんだ
「ghost rider」

 

 ところで、ゴーストライダーと言えば、同名のアメコミやそれを原作とする映画も連想されるが、何かしらのインスパイアを与えているのかもしれない。 

 6曲目「neon」は、「君」が描いた「絵」によって、他の楽曲たちとつながっている。ここでも、3曲以上のクロスオーバーが確認できる。
 
思いついた顔で君が描いた
下手くそな街の絵の中を
neon

 

君の描く下手くそな絵はすぐに滲んでいった
「friday」

 

君が適当に書いた落書きの意味を今もずっと考えてる
「underwater」

 

 7曲目「awake」は、『4』収録「天使」のアンサーソングだろう。次に引用する表現が決定的である。 

 
見覚えのない列車に僕は揺られて
遠い部屋と
タイヤの焦げた匂い
「awake」

 

なんでも定員オーバー
ホームに焦げたタイヤの匂い
「天使」

 

 「awake」の詞は、「天使」であの世(?)に行ってしまった人の視点で描かれた物語なのだろうか。ここでさらに、「iron」で歌われていた死生観のような一節を補助線として引けば、「awake」と「天使」のつながりは確信に変わる。 

 

あくびをした
見覚えのない列車に僕は揺られて
「awake」

 

なんだかこの世界は一瞬の夢
眼が覚めるのを待ち続けてる
 「iron」

 

「awake」とはすなわち「目覚める」ことであるわけだが、一つの生を終えて次の生(「生」とは言えないものかもしれないけれど)の目覚めを迎えたばかりの「僕」であるからこそ、 始まりの仕草は「あくび」であり、自分が乗っている列車には「見覚え」が「ない」のだろう。

 9曲目「ラストシーン」は、「ニューロマンサー」から連なる作品群の最新型だと思われる。「iron」よりもさらに後の話で、「僕」が、月に行ってしまった「君」とどこかで再会を果たしたようだ。

 

気づけばこんな場所に立って

変わらない君と踊ったり

相変わらずさ

下手なステップで歪んだ円をただただ残した

「ラストシーン」

 

少し急ぎ足になって

月を追いかけるような

頼りない僕のステップじゃ

どこにも行けないな

「iron」

 

 アルバムのラストを飾る「ワンダーランド」は、「ダンス」があり「夜」があり「消えそうな僕の影」があり、オガワコウイチらしい世界が描かれている。ここまでくると、何か意味がありそうな言葉をいちいち拾っていくのもアホらしくなってくるようで、 あとはもうライブに足を運んで、ぐちゃぐちゃとした幸せな箱庭の中で何も考えずに踊るのが正解な気がしてくるので、これで本エントリはおしまいといたします・・・。

 
 ************
 以上、今日までに思ったことをだらだらと書き連ねてみました。何回も聞きこんでいくうちに、また違う物語が浮上することもあるでしょう。
 『5』はお世辞抜きに、これまでの最高傑作だと思います。これから先もずっと、私の生活の側にこの音楽たちがいてくれることを、とてもうれしく思います。
 この素敵なアルバムが、あなたの暮らす「街」や「世界」や「夜」とも、交差していきますように!!
 
 

5

5

  
4

4

 
スリー

スリー

 
2

2

 
おやすみホログラム

おやすみホログラム

 

  

おやすみホログラム『4』解釈と鑑賞

 長らくおやホロの曲に関する感想などを書けずにいた。

 これは非常に個人的な話であるが(もっとも、個人的なことではないブログなんて存在しないとも思うけれど)、色んなことがあまりにもタイムリーだったので、言語化に苦戦していたような気がする。タイムリーな出来事というのは、身内の死だったり、職場での苦しみだったりした。自分の「名付け親」にあたる母方の祖父の死が特に堪えた。
 これから書くのは、エッセイともレビューともつかない、いつにも増して歪な文章である。でも、古典的な批評とかも、大概はそういうもんだとも思う。少し開き直った気持ちで書いてしまおうと思う。

 ちなみに、昨年の5月に行なわれた『4』の試聴会の記録は以前に当ブログでまとめている。本人たちによる制作裏話的なものが気になる方は、以下の記事もあわせて読んでいただければお楽しみいただけると思う。 

lucas-kq.hatenablog.com

 

 話を『4』のことに戻す。
 オガワコウイチ氏の書く歌詞は、おやすみホログラムが活動開始以来一貫して、「損なわれてしまったもの」との距離感を探り続ける試みだったように思っている。1曲目の「colors」は、今はもう居なくなってしまった人のことを中心に、ぐるぐると「僕」の語りが続くという歌詞を持っている。

 

幸せな人のことを歌った歌があった
僕らよく似てた

 

たしかにそばに誰かいたような
そんな気がしたんだ
曖昧に交わした約束のどこかに
本当は言いたかった言葉が埋まっている
「colors」

 

「僕ら」という言葉は出てくるが、それまでの多くの歌詞に必ずと言っていいほど登場していた「君」という言葉は使われていない。「僕ら」という複数形の人称を使うことで、その他の誰か(しかもそれは一人とは限らない)の存在が暗示されるのみだ。
 失恋の歌のように思えなくもないが、もっと決定的な「別れ」がこの歌詞の背景にはあるような気がしている。それはつまり、「死別」のことなのではないか。
「選ばれなかった僕の影」というフレーズが登場するが、「想いを寄せていた人に、パートナーとして選ばれなかった」と捉えれば、恋愛の歌として解釈できるかもしれない。しかし、「死の順番を迎える者として選ばれなかった」という意味合いで捉えれば、物語はがらりと変わってくる。

「colors」の歌詞は、神様に選んでもらえないまま、いまだにこの世に生かされている「僕」の述懐なのではないかと私は考えている。

 

歌は今でもここに漂っている
本当は言いたかった言葉が埋まっている
「colors」

 

「本当は言いたかった言葉」を、後から死者に伝えるすべはない。そう考えると上記の詞は切なく響くが、このフレーズには、生きながらえて言葉を口に出し続けることができる「僕」の希望や祈りも込められているような気がする。歌を歌い続けていれば「もしかしたら届くかもしれない」という、はかない望みの歌のように思われる。

 

 


【MV】おやすみホログラム「colors」 / OYASUMI HOLOGRAM [colors] 

 

 2曲目の「freak」は、この世に残された「僕」の孤独の歌だろうか。

 

僕はといえば狭い部屋の隅で夜を待ち続けた
通り過ぎて行くのは
色のない景色で
消えていく都市を遊泳する魚
の見る夢ではどんな景色が見えるの?
君は知ってる?
freak

 

 再度、個人的な思い出話に戻るが、自分を無条件で肯定してくれていた祖父を亡くした悲しみが頂点に達していたころの自分にとって、上に引用した歌詞はズシンと胸に響いた。
 私は昔から、苦しいことや悲しいことをリアルタイムで認識することが上手にできない。そういうときには、生活が荒れるような形でそれが表出したり、あるいは逆に、極端に根を詰めて仕事に打ち込むというような形で表れる。昨年の場合は、後者の形がより顕著に出た。一ヶ月以上、始業の二時間前に出勤して、アホみたいに働いて、ちょうど一年前の今頃に体調を崩して倒れたことがあった。

 そのほかにも、たくさんの人を苦しい気持ちにさせたり、心配をかけたりしてしまった。この曲を聴くたびに、一番精神的に苦しかった時のことや、人に迷惑をかけたときのことなどに対するやるせない想いがあふれ出してしまう。
 しかし、「freak」のメロディは抜群に気持ちよくて、優しい。

 続く「stay」と併せて聴くと、ほんの少しだけど魂が救われたような気持ちになる。

 

夢を見たんだ、いつものやつさ
近過ぎて、歪む君
多分僕は泣いていたんだ
遠い人
深い青の底
「stay」

 

 4曲目の「old moon」では、オガワ氏の歌詞にはおなじみの、夜と液体のモチーフが登場する。光を嫌って夜の中にとどまり続けたいと願う「僕」の物語となっている。絶望が一度底を打った人間の歌なのだろうか。

 

太陽に背を向けてどのくらい来たのか
スピードは出ないが追いつかれはしないさ
離れていくのは過去の光と
一斉に開いた君のための花
「old moon」

 

 5曲目の「raincoat」では、喪失から立ち直る「僕」の姿が歌われる。続く6曲目にも注目すると、そのタイトルは「hope」と名付けられている。したがって、「raincoat」は希望へと向かう歌である。「どんな夢か分からないけど行こう」という言葉が特にポジティブで、背中押される気持ちになれる。

 曲同士のこうした緩やかな連関は、いままでにもあったが、これまで発表したどのアルバムよりも美しく繋がっている。

 

深い森の奥には僕らの夢の続きがあって
どんな夢か分からないけど
こんな雨に打たれて冷たくなってくより
きっとマシさ
どんな夢か分からないけど行こう
「raincoat」

 

 7曲目の「iron」以降の曲たちは、「天使」以外は前半の流れから切り離して考えるべきだろう(「天使」については最後に記す)。

 ここからは『4』の第二楽章の始まりである。
「iron」は、2ndアルバム『2』に収録されている「ニューロマンサー」に連なる作品とみて間違いない。オガワ氏は自作のアンサーソングを作ることがある。3rdアルバム『・・・』(読み方は「スリー」)においてすでに、「ニューロマンサー」のアンサーソングを一度発表している。それは「sea song」という曲である。
 ここで一度「ニューロマンサー」がどのような物語を内包した曲であるのかを確認しておく。「ニューロマンサー」には二人の人物が登場する。それが「僕」と「君」なのだが、「君」はすでに街を出て行ってしまっていて、「月の裏」まで行ってしまったことになっている。

 

今夜も街で一人きり誰もいない狭い路地の中
空を見上げて死にたくなってるんだ

 

いつか僕も君のステップで月の裏まで
行って後悔したいよ
ニューロマンサー

 

「僕」のいる世界を超越して遠くへ行ってしまった「君」を、都市に内在する「僕」が想い続ける物語だ。
 その第2弾に当たる「sea song」では、月の裏まで行ってしまった人の物語が描かれている。「ニューロマンサー」で都市に留まった「僕」にとって、月の裏まで行った「君」は憧れの存在のように歌われていたが、この曲を聴くと、超越した者にもまた苦しみがあり、その胸の内が述べられていることが分かる作りになっている。

 

遠くまで来たんだな 君の街の明かりは見えない 世界は
真夜中によく似た真昼の音の無い部屋だ 混沌だ

全部散らかしたまま僕は
無責任に旅を続けて
こんなとこまで来てしまった
しばらくは動けない
「sea song」

 

 さて、「iron」について触れたい。
 この曲では、「ニューロマンサー」で街に留まった「僕」の物語が再び描かれる。そのことは次のフレーズに匂わされている。

 

少し急ぎ足になって
月を追いかけるような
頼りない僕のステップじゃ
どこにも行けないな
「iron」

 

「頼りない僕のステップ」は、「いつか僕も君のステップで」を踏まえたものであろう。

 曲の終盤には「君を乗せて廻るその世界では 僕が手を振る世界は見えるかな」というフレーズが歌われるが、「君の街の明かりは見えない」という「sea song」の歌詞を思い出すと、この期待は叶わぬものだったという物語が浮かび上がってきて、少し物悲しい。
 ところで、「なんだかこの世界は一瞬の夢で 眼が覚めるのを待ち続けてる」という一節もあるのだが、ここにはオガワコウイチの世界観や人生観のようなものが端的に表れている気がする。

 おやすみホログラムの歌詞に、これほど頻繁に「夜」と「夢」ばかりが登場するのはどうしてなのか、という疑問に対する回答を得たような気がして腑に落ちた。「夜」と「夢」のモチーフの頻出は特に1stアルバムと、『4』において顕著だ。おやホロの初期衝動が、4thアルバムで見事にアップグレードされた感があり、ファンとしては嬉しく思った。


【MV】おやすみホログラム「ニューロマンサー」/OYASUMI HOLOGRAM [Neuromancer]

 


おやすみホログラム アコースティックセット sea song

 


iron [おやすみホログラム] 2018/7/14 @福岡UTERO

 

 8曲目の「night bird」と9曲目の「世界の終わり」は、オガワコウイチがおやすみホログラムを始める前から作っていた曲のカバーである。ソロ時代・バンド時代のカバーも、おやすみホログラムのアルバムにはしばしば収められることがある。1stアルバムに収録されている「夜、走る人」もそうだった(しかも、この曲にも「夜」と「鳥」が登場する!)。

 


【MV】おやすみホログラム「世界の終わり」 / OYASUMI HOLOGRAM [the end of the world]


channa:世界の終わり/world's end/ at Shimokitazawa mona records 2009/05/31

 

 アルバムの最後を飾る「天使」は、忌野清志郎が亡くなったときに作った曲だという。この話をトークイベントで聞いたとき、「やはり、このアルバムには死や喪失のモチーフがあったか!」と静かに興奮したのを覚えている。

「天使は列車に乗っていったよ 僕も乗せて欲しかったのに」という一節は、「colors」の「選ばれなかった僕の影」のフレーズと響き合うことで、切実さが増している。神様に選ばれなかった、生者の罪償感のようなものが感じられる言葉である。
 また、曲のテンポがガラリと変わったあとの次の一節は、アルバム前半の「colors」から「hope」までの要約のように解釈でき、『4』が見事な円環構造を持ったアルバムであることを暗示している。

 

曖昧な僕はまた曖昧な言葉や色で塗りつぶしてはやり過ごすんだ
そうして僕は一人で転げ落ちて行ったんだ
落ちた先も似た夜の中
「天使」

 

「曖昧」「色」「やり過ごす」「転げ落ちて」「似た夜の中」といった言葉を印象的に胸に刻み、再び「colors」からの一連の楽曲たちを聴き直してみて欲しい。

 


天使 [おやすみホログラム] 2018/6/17 sing@下北沢ラグーナ

 

 最後にもう一度だけ自分語りをする。

 最初に少し述べた、祖父を失った悲しみは、完全には癒えていない実感がいまだにある。しかし、ある程度長く生きていれば、みんな多かれ少なかれ悲しい死別は経験する。人間誰しも同じように苦しいのだろうし、私の悲しみはごくありふれたものなのだと思う。でも、いくらありふれているからといっても、自分にとってはその都度、一回きりの固有の経験である。だから、一番悲しかった時の気分が後になって込み上げて、気持ちが落ち込んでくる瞬間が多々ある。その他にも、自分のダメさや愚かさが感じられて、この世から消えてしまいたくなる時がある。

 そんなことをウジウジと考えて、しんどい気持ちになったとき、私はおやすみホログラムの音楽を聴く。ある種の諦めにも似た連帯を感じられるのがおやすみホログラムの作品の魅力だと思う。

 ライブの現場に行けば同じ音楽とムードを愛好する人間がたくさんいることも救いである。「note」の大サビのときに、フロアの中央付近に突撃していくのが、私は好きだ。なんとなく救われた気持ちになれる。みんなが、寄る辺なさを持ち寄って、体をぶつけ合っているときの高揚感は何とも言えない。

  以上が、僕にとっての最近のおやホロの話。最後まで読んでくれた方がいましたら、深く感謝します。