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みんなバラバラであることの証明  映画『モッシュピット』(監督 岩淵弘樹)感想と考察

 映画『モッシュピット』を観てきました。Have a nice day! の浅見北斗を中心に、おやすみホログラムとNDGらも追いかけたドキュメンタリー映画で、浅見北斗がリキッドルームでのリリースパーティを成功させるまでの日々を記録しています。

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 私自身の感じたことを書く前に、この日の上映後トークから振り返りたいと思う。この日登壇したのは、ハマジム関係の監督たち。平野勝之監督、バクシーシ山下監督、ビーバップみのる監督らが登壇しました。岩淵監督にとっては、先輩たちから直々に自作を批評されるという、ある意味とても恵まれた時間で、本人的にはしんどかったかもしれないけれど、ちょっぴりうらやましく思いました。三人の感想の要旨を以下にまとめます。

 

山下氏「健全な映画。でも、ゴールはあれでよかったの?」

平野氏「面白かった。あの浅見さんって面白いね。もっと彼が見たかった。あちこちに視点が散ってしまって食い足りなく感じた。」

みのる氏「よかった。1円パチンコのような感じもした。あんまり負けないけど、勝ちもしない。」

 

 御三方とも、やや辛口の評価ではありましたが、この映画の特徴を的確に捉えていてさすがだなとおもいました。そして、三人の監督は「濃さ」とか「密度」のようなものを追求する表現者なのだということがよく伝わってきました。

 さて、ここからは私の思ったことをしたためたいと思います「ゴールはあれでよかったのか」「あちこちに視点が散っている」ということについて、先輩監督の皆さんはやや否定的な評価を下していました。しかし、私はこの点こそがこの映画の見事な点であると思っています。映画の終盤で浅見北斗がこんなことを言っていました。

 

「みんなが感情移入しているところと俺が感情移入しているところは違う」

 

 この言葉を聞いて、「あ、なるほどな」とすべてに合点がいきました。正直な所、「自分はこの映画から何を受け取れるだろうか、なんか良い音響で音楽が聴けて良かったなっていう程度かな・・・」(それはそれで素晴らしい余暇の過ごし方なのだけども)とか思いながら『モッシュピット』を鑑賞していました。でも、浅見さんのこの発言ですごく納得したんです。この作品は、モッシュピットという、ライブにおける一体感の象徴のような場所で、実はみんながてんでバラバラな方向を向いていることを証明する映画だったんだなと

 映画の主役はハバナイの浅見北斗ですが、NDG、おやすみホログラム、そして彼らのファンやオタクたちにもかなり長い尺を充てて日常生活の風景やライブ当日の様子を追いかけています。オタクたちは年齢も性別もファン歴も様々で、ライブに対しての思い入れも人それぞれ。このライブにかけてる!っていう人もいれば、いつも通り普通にカナミルを愛でるために通う人もいます。私自身、浅見さんが行なったクラウドファンディングに5000円を出資して、リキッドルームにもしっかり足を運びました。仕事をどうにか片付けて、疲れた体に鞭打ちながら、そしてちょっぴりワクワクしながら恵比寿に向かったのを覚えています。でも、すごい熱い人たちに比べたら、温度は低めだったかもしれない。

 出演者たちにもいろんな思いがありました。NDGのマネージャーのみぽりん氏は危機感を覚えていて、ハバナイがカッコ良く見えるためのお膳立てをするだけで終わってしまうのは嫌だという想いをもっているようでした。また、メグさんは脱退する意向を固めていて、年内を持ってNDGでの活動から身を引くことを宣言しました。セキさんはリーダーとして強い気持ちで臨もうとしていました。焦点が当てられなかった他のメンバーたちの想いは分からずじまいでしたが、NDGの撮られ方は、彼らにとってはけっこう厳しいものだったのではないかという気がしました。交換可能性が高いメンバーの存在が、かけがえのないメグさんの脱退表明によって際立つ感じがクリティカル

 おやホロの二人の言葉も印象的でした。カナミルは「こういう活動ができるのもあと何年かしかないと思っていつもやっている」と、自分の胸の内を語りました。渡辺淳之介が松隈氏の言葉を借りて語った「いつでもシュートを打てる体勢」(『アイドルをクリエイトする』)を思い出しました。

 

lucas-kq.hatenablog.com

 

 八月ちゃんは「一つ一つの出来事を流せない自分はアイドルに向いていないんじゃないかと思う」と、やや弱気モードでした。八月ちゃんはのちに、2016年になってほどなく、心ここに在らずな状態でライブをしてしまったことがあったとtumblrに綴っていましたが、八月ちゃんのスランプの予兆がここにあったのかもしれません

 

 とまあ、誰もかれもが違う立場・違うモチベーションで集まったのがリキッドルームなのです。出演者やファンやオタクたちの声を広く記録したことで、彼らのバラバラっぷりが見事に表現されていました。この映画のタイトルは『モッシュピット』ですが、モッシュピットという場所は、みんなが体を激しくぶつけ合って、汗まみれになって踊り狂っていて、「一体感」の生まれる場所であると言えます。しかし、「一体感」というのは、あくまで一体「感」であって、本当にみんなの肉体が融合して文字通りの「一体」になることはありません。なに当たり前のこと言っているんだよという感じですが、モッシュピットという場所はまさに、この身もふたもない事実を確認する儀式を行うための場所だと思うのですそこで起こる体と体のぶつかり合いは、まるで、決して混融することの無い「肉体」という壁の存在を繰り返し確認するための行為のようではありませんか。音楽が止んで、幕が下りれば、みんなはバラバラになって、それぞれの場所に帰っていきます。モッシュピットの熱狂は、あくまでも擬似的な一体化の体験でしかないのです。

 

 映画の終盤、モッシュピットの様子を真上から撮影した映像が流されます。映画の始まりから中盤くらいまで、多くの時間を費やしてバラバラな個人の生活や想いを丁寧に描いてきたからこそ、決して本当の意味で溶け合うことのない肉体のぶつかり合いの場面がとても印象に残りました。浅見北斗という、巨大な引力を持ったタレントから上手に距離を取り、視点を方々に散らしたからこそ、モッシュピットの儀礼性のある側面を描くことに成功したのだと思います

 

 平野監督が指摘された「食い足りなさ」とは、「薄さ」と言い換えていいと思いますが、私にとっては食べ応え十分の映画でした。この映画の射程は、ハバナイやおやホロの現場に限られていないと思うのです。さまざまな現場に偏在している、あらゆるモッシュピットについて哲学していると思いました。非常に開かれた映画です。「一般モッシュピット学」はここに始まったのです。現代における「祭り」の考察につながるような、優れたドキュメントだと思います。

 

 岩淵監督がどこまで意識的に撮ったのかは分からないですが、私はこの私自身の解釈でもって、岩淵監督の偉大な仕事に熱いエールを送りたいと思います。

 

☆おやホロのレポなど、過去にしたためています☆

 

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