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一回性を超えることの快楽 ままごと「わたしの星」(作・演出:柴幸男)と、「わが星」(2015年)について

 8月に柴幸男さん作・演出の「わたしの星」という劇を観てきました。場所は、三鷹市芸術センター星のホールという、素敵な名前の劇場でした。キャストはオーディションで選ばれた高校生たちで、スタッフにも高校生が参加していました。元になっているのは、ままごとが2009年に初演した「わが星」です。一人の女の子の一生と、星の一生とを重ね合わせて描いた劇でした。それを高校生キャスト向けにアレンジして生まれたのが「わたしの星」です。

高校生スタッフの皆さんが管理している特設サイトがとても素敵です。読み応えのある稽古記録やインタビューが盛りだくさん!

myplanet2017.amebaownd.com

 

 「わたしの星」の初演は2014年ですが、今回の「わたしの星」は初演からさらにアレンジが加えられていました。人類の火星への移住が進み、過疎化してしまった地球の、海沿いの小さな町が物語の舞台です。冒頭のモノローグで、「わたしの星」は「高校生たちが文化祭で演じる劇」であることが示されるのですが、このことからも分かる通り、この作品はメタフィクションです。しかも、作中人物たちが劇中で演じている劇自体、「文化祭で劇をやることが決まるまでの顛末」や「文化祭の準備中の出来事」を描いたメタフィクションとなっているため、「わたしの星」は言わば「『劇についての劇』についての劇」となっています。

 手の込んだ額縁が設定された劇ですが、決して難解な劇ということではありません。物語は非常にわかりやすいものでした。文化祭を前にして、ある日突然火星の高校に転校してしまったスピカという女の子のことを、登場人物たちそれぞれが想うお話です。舞台となる高校には10人の主人公たちのほかに生徒はおらず、文化祭を観に来る人もいません。主人公たちが文化祭で演じるのは、スピカというたった一人の(しかし今はもう地球にいない)宛先に宛てた演劇という体をとっています。唯一、転校直前のスピカに会うことができたのは、同学年で特に親しくしていたヒナコのみ。しかし、ヒナコでさえ、きちんとしたお別れをすることができずじまいとなってしまいます。主人公たちはみんなで劇をすることを一度はあきらめかけるものの、スピカと入れ替わるかのように火星から地球にやってきたヒカリを迎えて、「わたしの星」を演じます。

 「言えなかったサヨナラを言う」とか、「文化祭」とか、「転校」とか、「片思い」とか、(こう言ってよければ)非常にベタなモチーフを散りばめて作られた、青春のちらし寿司とでも呼ぶべき作品となっています。しかし、そのベタが全く嫌にならないというか、感動の押し売りに堕することなく心に響いてきました。私は、自分のことをけっこうなへそ曲がりであると自覚していますが、「わたしの星」には素直に感動できました。この理由はいったい何なのだろうと考えていたのですが、おそらく、理由の1つとしては、音楽の力が大きかったのではないかと思っています。

 物語の終盤、主人公たちが手分けをして必死にスピカを探しに行く場面があります。主人公たちが声を枯らして叫んだり、重大な告白が飛び出したりするのですが、この時に出演者たち自身によってBGMが演奏されます。tofubeatsの「Don't Stop The Music」の一部を繰り返し演奏するのですが、これがめちゃくちゃ良い。彼らの切迫した空気と、損なわれようとしていくものを惜しむ物語全体のムードにとてもマッチしていました。 


tofubeats - Don't Stop The Music feat.森高千里 / Chisato Moritaka (official MV)

 

  「わたしの星」を観劇してからすぐに、「わが星」(2015年ver.)を観返したのですが、こちらも音楽が重要な位置を占める作品でした。口ロロ「00:00:00」がめちゃくちゃ効いています。こちらも、たいへん感動的な作品でした。

 良いタイミングで良い音楽が流れることによって感動を喚起する作品といえば、昨年大ヒットした「君の名は。」が思い出されます。もしかしたら、今後も同様の作品が増えてくるかもしれません。


□□□(クチロロ) / 00:00:00

 

 「わたしの星」に感動した理由はもう1つあって、それは、虚構でしかできないことをやっているという点だと思います。「わが星」に感動した理由も多分同じで、虚構だから起こりうる/許されることを思いっきりやってくれている痛快さが観る者に与える快楽って、思った以上に大きいのかなと。

 私たちは、サヨナラを言えぬまま旅立ってしまった人とのお別れをやり直すことはできないし、現在と過去を行き来することもできないし、自分の死を一度しか死ぬことはできない。しかし虚構の中でならそれらの不可能を乗り越えることができる。堂々とSFしてみたり、ファンタジーしてみたりする痛快さが柴さんの作る演劇の魅力なのかもしれないと思いました。

 演劇はしばしば「一回性」と結び付けられがちで、確かにその日のその上演は一回きりのものかもしれないけれど、物語の設定や展開やモチーフのレベルで言えば、現実世界の摂理としての一回性を超えた奇跡を描き出すことができるものだと思うのです。一回性という概念の、「ある時と場所における出来事としてのレベル」と、「反復・やり直しがきかない世界の摂理としてのレベル」は分けて考えたほうが、いろいろ考えやすくなる気がしています。

 「わが星」は岸田國士戯曲賞を受賞した作品であることもあり、様々な人が分析や感想を書かれています。英米演劇の研究者である水谷八也氏は、「わが星」がもたらす感動について次のように分析しています。  

  

『わが星』『わが町』の感動の大部分は、演劇という形式によってもたらされたものであり、日常の様々な諸原則、自分を規定する諸々の価値基準、身分、しがらみ、枠組み等々、すなわち「近代」的な思考枠が崩され、浮遊した状態になり、「わたし」という「個人」を、私の中でそっと感じ取ったことによるのではないかと思う。そしてその感じは、今、とても重要だと思うのだ。 

http://synodos.jp/culture/17347

 

  「日常の様々な諸規則」が崩されたところに感動の秘密を見るという点は、私が抱いた感想と近しいように思いました。また、水谷氏は別の箇所で、柴幸男氏の作品について「近代という発想から生まれたリアリズム、あるいは明治以後様々な要因でねじれの生じたリアリズム『みたいな』芝居から演劇を解放していると言えるだろう」とも述べていて、虚構でしかできないことをやっている点を評価した言葉であると思います。水谷氏の論考は、岸田國士戯曲賞の審査員たちの選評についても丁寧に整理しており、柴幸男氏の作品に何かを感じ、言葉にしてみたいことが芽生えた人にとってはマストだと思います!

 下記にリンクを示しましたが、審査員の選評の中にはシビアなものもあります。永井愛氏は「ワイルダーの『わが町』の本歌取りとして、充分な詩情を獲得しているのだが、人物の会話は平板で物足りない。これが意識的なことなのか、このような描き方しかできないのかという疑問は最後まで私を迷わせた。」と述べています。確かにこの指摘は鋭くて、ある種の幼稚さ・未成熟性みたいなものが柴幸男作品にはあるような気がします。それを「分かりやすさ」として好意的に捉えたり、あるいは別の批評的な戦略として解釈することができるかどうかは人それぞれかもしれません。しかし、そもそもリアリズムという土俵の上で勝負していないと思われる作品に対してこれを言うのはちょっと酷ではないかという気もします。あるいは、音楽の力を軽視しすぎているのではないかとも。

↓「わが星」の選評が気になった方はこちらからどうぞ♪  

http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12262.html

 

 ところで、「わたしの星」はすでに居なくなてしまった人のことを想う物語でしたが、私は観劇中にときどきおやすみホログラムのことを考えたりしていました。「わたしの星」とは全然関係ないのだけれども、止められないオタク脳・・・(笑)

 でも、一応それなりの理由があります。なぜ、おやホロのことが浮かんだかというと、おやすみホログラムもこれから居なくなってしまう人のことや、すでに居なくなってしまった人のことを描いた歌を歌い続けてきたユニットだからです。いない人のことを想い出したり、人がいなくなっていくのを見送ったりするというモチーフをともに持っているという点で、非常に親和性を感じるのです。

 「わたしの星」の序盤で、火星からやってきたヒカリのことを幽霊だと思い込む場面があります。また、私が観た日のアフタートークで、柴さんは「幽霊」への関心をお話されていました。おやすみホログラムの楽曲の中には、ずばり「ghosting」というタイトルの曲があって、そこでも私はめちゃくちゃ興奮しました。ghosting」という言葉自体は「幽霊(ghost)」とは関係ありませんが、「焼き付き」「音信不通」「テレビなどで映像と音声がずれて見える現象」のことなどを指します。これもやはり、柴幸男的モチーフとつながるような気がします。

lucas-kq.hatenablog.com

  「わたしの星」は全公演が終了してしまいましたが、どこかで観る機会があればぜひ多くの人に観て欲しい作品だと思いました。ままごとの今後の展開からも目が離せませんし、今回参加した高校生キャストの皆さんのさらなる活躍にも期待です。私は、サヤハを演じた関彩葉さんの演技力が特に素晴らしいと思いました!

 

ゲンロンを併せて読んでみると、より興味深いかもしれません。この号のテーマは「幽霊的身体」です。

 

ゲンロン5 幽霊的身体

ゲンロン5 幽霊的身体

 

  

おやすみホログラムに興味を持たれた方は、こちらも是非!! 

いくつかピックアップしてみました。


【MV】おやすみホログラム「ラストシーン」 (監督:川口潤)

 


【MV】おやすみホログラム「colors」 / OYASUMI HOLOGRAM [colors]

 


【LIVE】おやすみホログラム「note」(2019.8.10 渋谷WWWX)

 当日劇場で配布されていた、高校生スタッフの方が書いた手書きの新聞風読み物。

めちゃくちゃ素敵でした。現実と虚構を行き来する「内海高校便り」。

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