もしもし、そこの読者さま

ライブアイドルのライブレポ、Sexyzoneのライブレポ、映画・舞台・本などの感想などなど

おやすみホログラム「それから」と「note」を聴きこむと、2つの最新EPのコンセプトがよく分かるという話

 今年は、おやすみホログラムの最新EP『15』と『17』が発売されました。私はおやすみホログラムの歌詞がとても好きで、どれくらい好きかというと、歌詞の分析本を作ってブートバザーで売り出してしまうくらいには大好きです。次のブートバザー開催のお知らせがいつ出てもいいように、密かに第2弾の編集作業を進めていたりします・・・笑 『15』と『17』に収められた新曲の歌詞についても自分なりに精読していて、少し面白いことに気が付いたのでブログをしたためたいと思います。

 『15』と『17』は、おやすみホログラムにとっては初めての、コンセプトを持った作品です。おやホロのプロデューサーであるオガワコウイチ氏は以前、アルバムのタイトルの決め方について、次のように発言していました。

 

前回が『2』。今回が『・・・』(スリー)なんですけど。本当はそういうのも付けたくなくて、全部おやすみホログラムにしたいんですけど、管理上ナンバリングしないと管理がしづらいということで、仕方なく付けてて。だからコンセプトは無いっちゃ無いんですよ。たぶんコンセプトアルバムになったら名前が付くはずです

(2016年11月10日『・・・』爆音試聴会@dues新宿での発言より)

 

 『15』『17』はアルバムではありませんが、おやホロ史上初めて形式的なナンバリングとは関係ないところで名前が付けられた作品です。リリースに先立って、オガワコウイチ氏は両作品のコンセプトを次のように説明していました。

 

今回おやすみホログラムは「15」と「17」というEPを二枚同時リリースすることにしました。

15はバンドでレコーディングしたバンド作品。 17は僕が全て演奏し、打ち込んだ宅録作品。

つまりは15才と17才のEPだということ。 調べてみるといろんなアーティストが15と17について歌ってるんだよね。 僕もそうで15才の時にロックと出会い(それまではヒップホップ、ATCQとかNas、日本だとブッダブランド)なんかに傾倒してた。 それを壊してくれたのがソニックユースダイナソージュニア、BECKスーパーカー、この四組が大きい。 ギター買ってディストーションかって家で鳴らしてる感じ、ああもうなんでもできるじゃん、早く皆の前でやりてーっていう感じ。 実際田舎の高校だしソニックユースとか聴いてる人もあまりいなくて、いたとしても楽器をできるやつはさらに少ないから段々と曇って行くんだよね。 17才になるくらいの頃にはバンドやろうなんて気持ちも萎えてなんか世間って難しいなーとバイトばかりの日々を過ごした。 そう考えると確かに15で世界は光りだすんだけど、17の頃には少し濁り出していたようなきがした。 多分その二年間で人は自分を測るんだと思う。 自分の限界に気付くんだと思う。 この2つのEPは希望から始まった諦観と、じゃあそれから?っていう意味が込められた作品です。 これを聴いてくれる人の15才や17才が何年前かは知らないけど、多分そんなに根本は変わってないと思いますよ。

 

ゆらゆら帝国/19か20

15で世界は光りだし 19か20で終わりそう

  (公式ページより)

 

 バンド作品の『15』では「それから」「ghosting」の2曲が、『17』では「slow dancer」「Lemon」「Mother」「Hole of my underground」の4曲がそれぞれ新曲として収められています。その他にも収録曲はありますが、それらは、既存曲を新たにレコーディングしたものかアレンジ違いのものです。この記事では、『15』収録の新曲「それから」の歌詞について考察してみたいと思います。

 「それから」は、おやすみホログラムの楽曲の中でも、季節が明確に刻印された数少ない曲の一つです。「夏の終わり」というフレーズが確認できます。

 

夏の終わりよく晴れた光の中

僕は汗もかかず息も切らさずに漂う

「それから」

 

 この曲の他に季節や時期が特定できる歌詞を持っているのは「note」(「僕のモノクロームの世界が淡くにじんだ冬の日」)と「11」(「11月がやけに優しくて参るな」)のみであり、「春夏秋冬」がはっきりと記されている曲に関して言えば、「note」と「それから」以外には発表されていません。その意味で、「それから」と「note」はやはりセットで解釈したくなる曲です。『15』に「note」の新バージョンも一緒に収録されていることは、おそらく偶然ではないのだと思います。

 オガワ氏は『15』『17』を「希望から始まった諦観と、じゃあそれから?っていう意味が込められた作品」だとしていますが、「note」には「希望から始まった諦観」に至るまでの絶望と未練が描かれているように解釈することができます。次に引用する、冒頭部分の「思い出になってたまるか」は、「君」を過去のものにはさせまいという意志の表明であり、それがたとえ儚い望みにすぎないとしても、「希望」の言葉であると言えます。

 

君がふとかさねた色とか、遠くを見る仕草や

捨ててしまったノートが、思い出になってたまるか

「note」

 

 後半部分では、次の引用にある通り、「僕」が「初めての絶望」を経験したことが示されるのですが、先ほどの引用部分と併せてこれはまさに「希望から始まった諦観」に至る前の一撃と呼ぶにふさわしいでしょう。責任を「君」に転嫁して逃げ回るくだりには、痛々しささえあります。「note」にはある種の「未成熟性」のようなものも刷り込まれていると言えます(「アイドル」と「未成熟」は、しばしば結び付けられて論じられますが、この点は、おやホロのオタクに限らず他所のオタクにも「note」のファンが多いことと、何らかの関係があるかもしれません)。

 

初めての絶望は少し甘い味がする

全てが透き通って、ああ、触れられないんだ

絡まって逃げ回って、息を切らしている

全部君のせいにして

「note」

 

 
【MV】note/おやすみホログラム

 

 「それから」はそのタイトルが示す通り、諦観に至ったのちの「それから」が描かれているように解釈することができる曲になっています。というのも、この歌には「君」が一切登場しないからです。「あの人」というフレーズは登場するものの、二人称の呼びかけ「君」と比べるとよそよそしく、心理的な距離を感じる言い回しです。「それから」の時間軸は、「君」のことを考えながら煩悶していた「note」とは対照的な空気で満たされています。

 

終わりが無かった世界で僕は終わりを探した

すぐに見つかったのに見えないフリをした

(略)

僕はそんな世界を望んでは

都合の悪い世界のぬるい海で泳ぐ

「それから」

 

 「終わりが無かった世界」の「終わり」をすぐに見つけたうえで、「見えないフリ」をしたり、「都合の悪い世界」を自ら望み、その世界の「ぬるい海で泳」いだりといった振る舞いは、少なくとも、夢見がちで未成熟な15歳の少年がするような振る舞いではないでしょう。「夏」と「冬」という季節の違いからして、すでに対照的な両曲ですが、「note」と「それから」の間には、その他にも対になるフレーズを数多く見出すことができます。すでに引用した箇所と重複する部分もありますが、改めてそれぞれ比較分析してみたいと思います。まずは次のフレーズから。

 

君のモノクロームの世界が濡れてしまった雨の日

「note」

 

終わらない世界は雨の無い世界で僕を残して同じところを回るだけ

「それから」

 

 おやホロの詞にはあまり「雨」は出てこないのですが、その「雨」の有無に対照性が見られるのは意味深長です。「それから」で描かれている「雨の無い」カラリとした世界は、メソメソした雰囲気の「note」の世界とは一線を画しており、諦観の先の「じゃあそれから?」というイメージにマッチしていると言えるでしょう。未成熟な「note」と、成熟した「それから」とでも言えるような対照性が、両者の間にはあるのです。次に引用するフレーズも対照的です。

 

絡まって逃げ回って、息を切らしている

「note」

 

 僕は汗もかかず息も切らさずに漂う

「それから」

 

 「息を切らして」狼狽してしまうのが「note」で、「息も切らさずに漂う」ことができるだけの落ち着きを持っているのが「それから」。これらの対照的なフレーズからも成熟と未成熟のイメージを連想できます。「それから」の「僕」は「君」のことを想ってメソメソすることはなく、世界を一人で「漂う」術を身につけた(あるいは、「身につけてしまった」と言うべきか)成熟した存在なのです。このことは、「繰り返し」という言葉を含む次のフレーズの中に最も決定的に表れています。

 

息が白くなって なんだか空っぽ

今日を繰り返していく

「note」

 

目覚めたら何回も繰り返した時間が繋がって

あの人も少しずつ磨り減った

「それから」

 

 「note」の「僕」は、「空っぽ」と形容されるほどの喪失感を抱えて日常を繰り返しています。この喪失感は、言うまでもなく「君」を失ったことによるものでしょう。それに対し、「それから」の「僕」には、そもそも「君」と呼びうる相手はすでにいません。「君」は、よそよそしい「あの人」という呼び名で呼ばれるような心理的距離の先におり、しかも、繰り返した時間の中で「磨り減った」と歌われています。手の届かない「君」に対する未練を乗り越えた先の、諦観の境地にいる「僕」の姿が描かれているのです。


20170803 おやすみホログラム / それから @下北沢BasementBar ※初披露

 

 オガワ氏が二つのEPに込めた「希望から始まった諦観と、じゃあそれから?」というモチーフは、「それから」と「note」の対照性の中に凝縮されています。すでに音源をお持ちの方は、そういったことを頭の片隅に置きながらあらためて『15』を聴いてみると、また違った味わいがあるかもしれません。一方の『17』はどのようなEPなのか。その辺りも想像してみるととても楽しいです。その他の新曲については、『おやホロスタディーズ2』でまとめられればと思います。以前出したものの増補改訂版ではありますが、すでに15万字以上の分量に膨れ上がっているので、早く本の形にしたいものです。

 一番言いたいことは何かというと、こんなに深い世界観と素敵なメロディを生み出し続けているおやすみホログラムを、みなさんにもっと広く聴いていただけたら嬉しいなということです。3年以上前の過去の曲と、最新の曲の歌詞が繋がっているって面白くないですか?

 

17

17

 
15

15

 

 ↓このジャケットのカッコよさ!

f:id:lucas_kq:20171219164124p:plain