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ヘンミモリ個展「表層/発生」トークの記録その2 1月21日(日)@ART SPACE BAR BUENA(ヘンミモリ、片岡フグリ、イシヅカユウ)

  大久保のART SPACE BAR BUENAで行われているヘンミモリさんの個展「表層/発生」。

 その初日に行われたトークの記録の後編です。なかなか分量がありましたので、2分割しています。前編も併せてお楽しみください。 

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 トークの後半では個展のテーマにもなっている「表層」をめぐるヘンミさんのお話がありました。作品の深層を知りたがりがちな鑑賞者への挑発が込められているということで、私も非常に共感しながら話を聞かせていただきました。

 文学などでも同じことが言えると思いますが、「作者の意図」というただ一つの正解だけしか、作品の中に込められていないのだとしたら、世界はあまりにも貧しいものになってしまう気がします。私たちが受け取れるのは作品の表層のみであるわけで、作品の外部にあるテキスト等で、作者自身による説明や解説をされて何か感銘を受けたとしても、そこには何かモヤモヤが残るような気がしてしまいます。私としてはむしろ、作者さえ意識していなかったような意味が、色々な人によってさまざまな形で作品の中に見出されることこそが、楽しくて健康的な営みだと思っています。絵画の表面に目を向けよ、というメッセージは非常に心に響きました。

  

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ヘンミ ところで、今日登壇している3人って同世代なんです。私以外の二人は今日初めて顔を合わせてるんですけど、私は各々とはしゃべっていて。同世代感みたいなものって、それぞれの活動の中におのずと出てくると思うんですよ。

片岡 時代性みたいなもの?

ヘンミ そうです。

片岡 うん、やっぱり時代性というのは、どこかに入れないといけないと思います。音楽もそうだけど、アートというのはそれがすごく大きいんじゃないかな。例えば音楽だと、自分が80年代の音楽が好きだったとして、それをそのままやってもダメじゃないですか。プロのアーティストを名乗るんだったら、時代性って必要だと思うので。自ずと考えるとは思いますよね。

ヘンミ イシヅカさんはどうですか?

イシヅカ 振る舞いとかにもしかしたら出るのかもしれないけど、私が着ることになる最新のファッションの方に時代性が強くありすぎるので、逆に私はあんまりそこを考えないようにした方がいいのではないかと考えています。

ヘンミ モデルという職業は、私たちがやっているような絵や音楽を受け止める支持体みたいなイメージがあります。

イシヅカ そうですね、どっちかと言うとメディア的なものではあると思います。

ヘンミ なるほど。では、ここでまた質問を受けたいと思います。

片岡 質問があるとテンポがよくなりますね。何かありますでしょうか。

(イシヅカさんに質問なんですけれども、人の表現を身にまとったりする側として仕事されていると思うんですけど、自分が何かを表現したいと思うことはあるのかというのを伺いたいです。)

イシヅカ すごくありますね。私はもともと趣味で絵画教室に通ったりしたこともあって。いろんな人の表現を受け止めなければいけないし、それをさらに自分で表現することで発信するという風に考えているので、自分の中にいっぱい溜まってきちゃうんですよね。インプットされすぎてインプット過多になってしまうことがあって、そういう時はやっぱり自分でアウトプットする術があったらなと思っています。でも、なかなかそこまでには至らず、他の人の表現を引き受けた時に、別の形でアウトプットしようと考えたりすることはあります。

(モデルのお仕事をしている時は、自分を消しちゃったりするんですか?)

イシヅカ 無ではないですね。自分の中に元からインプットしているものと、デザイナーさんが表現したいものというのを勘案して、自分の中にある引き出しの中から選んでそれらを擦り寄せていくというか。自分と他者の表現したいものを近づけるようにしています。自分を空っぽにするというよりは、自分の持っているものがあるという前提で表現をしたいなと思っています。

ヘンミ 自分の中のストックがあって、そこから出していく感じなんですね。

イシヅカ 音楽もそうだし、映画でもそうだし、何かを着てみたりしたときに自分の中にあったものがパッと出てくることがあります。動き方とかがそれで変わってきたり。

片岡 センスを常に育てていくということなんですね。

イシヅカ どちらかと言えば受動的な仕事なんですけど、インプットということにかんしては能動的にいろいろなものを取り入れようと考えてやっています。

ヘンミ すごく理に適ったやり方ですよね。私は昼にデザインのお仕事をしているんですけど、仕事を効率化させたり、自分が対応できることを増やすための勉強をするじゃないですか。それにすごく似てるんです。対応していくために、10知っていることの中から、最適なものをいくつか選ぶみたいな。すごく「仕事ができそう」という感じがしますね(笑)

イシヅカ 全然普通の仕事はできないんですけどね(笑)

ヘンミ そうなんだ(笑) ご質問ありがとうございました。

片岡 でもそれってヘンミさんにも言えることなんじゃないですか。自分を無にするかどうかという問題は、絵の見方に関して描き手は半分くらいまでしか関与しないことと関係してくるのかなと。

ヘンミ そうでうすね。私は、芸術家然とした感じが苦手なんです。私はこういう激情のもとにやっているんだぞ、というのが苦手で。もちろんそういうのはあるんですけど、それを絵の中に出すということは選択していないんですね。結局、理性でやらないと気が済まない性分みたいなものがあるんです。自分が好きな絵を描きたいというところからスタートしているので、その好きな絵にたどり着きたいというだけなんです。でも、その好きな絵というのはすごく感覚的だから、自分の中でも描いてみないと分からなかったりします。人の絵だったら、これが好きっていうのはあるんですけど、自分の絵って出してみないと分からないんですよ。試作を繰り返して、これを作品にしようという試行錯誤を繰り返して、ようやく「これが自分にとって一番好きな絵かもしれない」と思って、発表するところまでいきます。

片岡 現代アートというものは、どこかで時代をチャネリングして作らないといけないと思うんです。ヘンミさんは東北にある大学で芸術を学んだわけですけど、実家はどこでしたっけ?

ヘンミ 宮城の石巻です。

片岡 以前話したときに震災のこととかもお話したんですけど、震災の後に周りの人たちの作品がすごく変わったというんです。

ヘンミ そうですね。

片岡 震災以後ということを引き受けた作品というよりは、それとは関係のない、自分の中にあるモチーフをやりたいということですか?

ヘンミ そうですね。今日来てくれてる人の中にも学友がいるんですけど、一時期自分たちの卒業制作展でも震災関係の絵が2、3点ありました。そんなに極端には増えていないんですけど、ある程度増えた時期があって。センセーショナルな出来事だったし、もしかしたら制作者は震災で何かを失ってしまったのかもしれないし、そう考えるとそれを絵にするっていうのはすごいと思います。でも自分は正直、震災当時山形にいて、実家は石巻ではあったんですけど、幸い特に大きな被害も無かったんです。大きい災害が起きたことは分かるけれど、自分が被害を受けたという実感が無かったんですね。震災について考えることはありますけど、震災を絵にするということについては、自分の中で何かもっと大きな動機が生まれないとできないと思うんです。私は私としていろいろなことを経た結果、因果としては何かあるかもしれないというぐらいなんです。

片岡 震災に関連した作品を作る人というのは、どこかでつながっている部分があるんでしょうね。一日にして何万人という人が亡くなってしまったというのは事実としてあったけれども、実感というところでいうと、俺はその時東京にいて、すごいことが起きたという感覚はありましたけど、そこに圧倒的な絶望みたいなものというのは正直なかったなと。

ヘンミ 私は幸運にも生きていて、裕福な環境のおかげで絵を描けているという状況にいる。そういった状況で自分が発表するものは、むしろ、自分の好きなものじゃないといけないって私は思ったんです。戦争画だったり、センセーショナルな出来事を次世代に伝えるための絵画は絶対に必要だとは思うんです。でもそれって、仕事の気持ちなんですよね。描くとしたら。私に依頼が来たら描くかもしれないけど、それを描くことが好きかどうかというと、たぶんそんなに好きではないと思います。

片岡 やっぱり、そういう絵は感情では描けないんじゃないですか。描ける状況にいる人しか描けないですよね。戦争画の話になりましたけど、原子爆弾が落ちた時にその中心にいた人って一瞬にして亡くなってしまったわけですよね。でも、そこで起こったことは誰も表現できないという、表現の沈黙みたいな話がありますよね。それに近いレベルで、震災の時の津波の様子を描くかというと、描かないと思うんです。体験した人の見たものは、テレビでそれを見ていた人とは別のものだったと思うんです。

ヘンミ 体験をすることって、すごくミクロな視点で見るということですよね。一人なので。その現場にいる人が見られるものって限られてくると思うんです。それこそ、流されている車だったりとか、倒れた樹木だったりとか。でも、もっと遠くにいる人はその全体像を見ているわけで、絵にはしやすいかもしれないですね。

片岡 そうですねえ。

ヘンミ では、もう一度質問を挟みましょうか。

片岡 真面目な話をしてしまいましたね。

ヘンミ フランクな感じでいきましょうか。

(無作為なものを作為的に作るという作業の中で、どうしても、カッコいいものを作りたいという前提で作業をしていると、手癖みたいなものが出てくると思うんです。その辺はどういうバランスでやられているんですか?)

ヘンミ なるほど。手癖はついていると思います。今日展示している作品の中に「夜の残像」という作品があるんですけど、これってもともと全然違う絵なんです。裏側から見ると分かりやすいんですけど、裏側はめちゃくちゃ赤いんです。なんでこうなったかというと、最初にカッコいいと思ったものを突き詰めていったんだけど、結局赤い面だと線が映えないと思い始めて、どちらを残すかという選択をして今の色に落ち着いたからなんです。そういう分岐が何回も訪れるんですよね。その時々で、これはカッコいいとか、これはあまりカッコよくないぞということで、ルートをどんどん変えていくんです。それで結局、層を作るという方向にも進むんですけど、正直やり方はあんまり決めてないかもしれないですね。色や線って感覚で決めているんですよね。絵の中の一つの要素でしかなくて。自分ではあんまりよい描き方ではないかもしれないと思っています。

片岡 でも、それはありなんじゃないですか? ここに点を置いてみるかどうかという戦いってあると思うんです。俺はそんなに絵は描かないんですけど、たまに描く時があって、赤を塗るときは声を出すみたいな。赤を塗るってすごく勇気がいるじゃないですか。

ヘンミ 分かります。それはすごく。

片岡 でもやらなきゃいけないっていう。そういう戦いの跡になるんじゃないですかね。カッコいいと思った瞬間にもう完成にしてもいいわけじゃないですか。でもしないっていうことは、戦い。まだいけるんじゃないかという。

ヘンミ もちろん、「これはもうカッコいいからやーめよっ」ってなって、そこで止めた絵もありますからね。たしかに、赤を入れるって勇気がいりますよね。

イシヅカ それはどうしてですか?

ヘンミ 強いからですね(笑) 色が強いから。そういえば今日はけっこう赤い服の人がいっぱいいますね(笑) 黒は慣れてきたんですけど、赤と青は。あとは、緑が使いづらいというか、ちょっと苦手なんですよね。でも果敢に攻めてみたりもしてるんですけど。例えば、お化粧をする時でも、赤い口紅ってすごく勇気がいるみたいなところがあって。

イシヅカ 一番最後にやりますよね。

ヘンミ 締めのような感じ。恥ずかしい話なんだけど、私そもそもたぶん絵が向いていなくて(笑) 絵を描くっていう行為が。色彩構成センスとかはそんなに無いんです。でも、やりたい。ここに緑を置いたら、次はこっちにこの色を置くとオシャレみたいなのって分かりづらいなと思ってて。でも、絵を描きたい。シミだったりとか、何かが浮かび上がってくるような絵が描きたいから。それには色彩を構成するセンスが本当は必要なんだけど、どうやって戦っていけばいいのかというところで、色を重ねていって深みを出していくという方向にしか行かないんです。悔しいけど(笑) 

片岡 もともとこういうことをされていたんですか?

ヘンミ 大学に入ってからですね。ちゃんと勉強し始めてからです。それまでは正直、絵という絵を描いたことがなくて。

片岡 彫刻でしたっけ?

ヘンミ 版画ですね。

イシヅカ なんか、重ねてった裏側が全然違うということでしたけど、最初は全然違うことを描こうとしていたということですか?

ヘンミ あ~・・・。今回は、「表層/発生」という個展のタイトルにしたのは、まさにそういう話と関係があるんですね。つまり、一番表に出てきていることが全てだということが言いたくて。私の中では最大限に人に喧嘩を売ったような口調で言うと、「表面を見ないと後ろにあるものなんて分からないんだから、とりあえずお前たちは表面を見なさい!」みたいな(笑) 「この色ってどこから出てきているんだろう」とか、「この絵ってこういうモノに似ているな」といったことって、表面を見ることでしか感じ得ないと思うんですよね。絵の裏面は、基本的に誰にも見られない部分だし。だから、いちいち人の深層を探るのはもうやめにしましょう、みたいな(笑) 「表面上でいろいろ考えてください、私はそれ以上はやらない」っていう。

片岡 そのスタンスって、抽象絵画の人たちがもともとやっていたこととは別のアングルから攻めている感じがしますよね。

ヘンミ もともとアンフォルメルとかアメリカ抽象芸術主義はすごく激情的なんですよね。絵の具をバシャーってやって自分の思いを絵の具に乗せるみたいな。俺は怒ってるんだぞバシャーってやって、これは怒ってる絵ですと言うような(笑) それがちょっと苦手なんですよね。

片岡 感情をどう乗せるのかというのは難しい部分だし、乗せる必要があるのかという問題もありますよね。この前、画家の人としゃべってたんですけど、我々のやっているノイズみたいな即興の演奏をした時に、怒っているとか悲しんでいるというのは分かりやすいけども、楽しいという気持ちを表現することはできるのかと聞かれたんです。こっちも「そんなのあるんでしょうか?」と思ってしまって(笑) 楽しいっていうのは結局共感なので、即興の演奏をする中で盛り上がって楽しいと思うことはあるかもしれないけれど、具体的に愉快さを音で表現するのは難しいんじゃないかと思って。それは、絵画でもあると思うんですけど、何となく明るめの色を使って、楽しいムードというか陽気なムードを出すことはできるのかなとか。悲しいとか怒っているという感情の表現はけっこう安直なものでもあるような気がしていて。

ヘンミ 主観で楽しさを感じようとすると、喜びとかになるんですよね。「楽しい」って難しいなあ。楽しいと感じる絵を私はあんまり描いていないと思います(笑) 皆さんがどう思うのかは分からないですけど、例えば桃色とか黄色みたいな春のイメージの色を使っていると、何となくみんな春の感じを思い出して楽し気な感じに見えるかもしれない。そういったイメージを一度噛ませないと難しいかもしれない。

片岡 あとはタイトルにしちゃうとかですかね。それは敗北な感じもしますけれども。

ヘンミ タイトルは難しい問題ですよね。以前も話したことなんですけど、昔はタイトルを決めるときに、自分が作った架空の英単語にしてたんです。でも、抽象画でそれをやった時に、これは何なんだ?ってなってしまうんですよ。指針が一個もないと人は分からないんだなって。これは敗北に近いのかもしれないですけど。「これは何なんですか?」と言われて、タイトルを見ても分からないし、じゃあもう見ないと言われてしまうのが一番嫌なんです。タイトルを手掛かりにして、いったん見ることができるものの方が親切かなと思ったんですよね。例えばクラシック音楽でも、私はタイトルがないとどんな気持ちだか分からないんですよね。名前を付けるって難しい。

イシヅカ 片岡さんは音楽をやるときに、こういう感じのものを表現しようというのはあったりするんですか?

片岡 前はあったんです。最近はあんまりないですね。歌も歌うんですけど、歌に関する自分のイメージしたものを思い浮かべて、こういう音を出そうということを考えていたこともあったんです。最近はあんまりそういうことは考えなくなりましたね。ノイズっていうものをやるときに、何をしたらいいんだろうというのを考えることもありますね。感情ではないかもしれないですね。あの時のムード、みたいな。ノイズって、「あの曲のあそこが好きだ」とか「この曲をやってくれてうれしい」みたいなことが共有できない音楽なんです。そうなるとやっぱり、持って帰れるものがあるとしたらムードしかないのかなと。

ヘンミ 私たちは、考えてからじゃないとモノを出せないタイプですよね。こういうことを考えてやっているぞ!ということが見えてきて、面白いですね。では、最後の質問にいきたいと思います。質問がある方がいらっしゃいましたらお願いします。

(2018年、今年はこういうことをやってみたいという何かはありますか?)

ヘンミ 私は、画廊で個展をやったりしたことはないんです。絵をずっと取り扱っているような専門の場所でやってみたいですね。今回は、全部私が価格も決めているんです。DMとかも。画廊でやるとなると、そういったことも全部やってくれて、値段も決められちゃうんです。それがどうなるのかが全く想像がつかなくて。違うところで展示をして、違う人たちに見てもらった時に、どんな反応がもらえて、どんな価格設定や見せ方をされるのかがすごく気になっています。だから、外に出てみようという感じです。ご質問ありがとうございます。

片岡 それをやるには、ヘンミさんがヘンミさんにならなきゃいけないですね、変な言い方ですけど(笑) 作家にならなきゃいけない。

ヘンミ ゴリゴリに作家っぽいことしなくちゃいけないですね(笑)

片岡 画廊に出すとなると、作家というものにならないと抽象画は厳しくはないんですか?

ヘンミ 今はけっこう多様化していて、自分の中である程度考えがまとまっていて、こういうことを表現したいということがあれば大丈夫かなとは思います。ただ、その時は裏側のことは任せなくてはいけないですね。

片岡 そうなったときに、なんて紹介されるかですよね。

ヘンミ そうなんですよね。私はどう紹介されるんだろう。ギャラリーによって色が違っていて、抽象画が選ばれやすいところとか、それこそ蜜蝋画のギャラリーもあるんですよ。今回はそこの方も来てくださるかもしれなくて。そこの方にこの絵を見せた時にどんな反応をされるんだろうって、楽しみでもあり恐怖でもあるという。でも未来は明るいなという感じです(笑)

片岡 たのしみです!

ヘンミ はい、ということでお時間になりました。最後に少し宣伝なんですけど、今回、フルーツのポストカードも作っていますので、こちらもよろしくお願いします。良い紙で作っています。今日はトークを聞いていただきどうもありがとうございました。

片岡&イシヅカ ありがとうございました。

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以上でトークの記録はおしまいです。トークの後に行われたパフォーマンスも、大変素晴らしいものでした。異次元体験という感じ。

ライブペインティングを最初から最後まで通しで観たのは初めてでしたが、「終わり」をめぐる緊張感があって、すごくスリリングで楽しかったです。

 

 

会期は明日28日までなので、今日を入れて残すところ2日です。

週末飲み足りない人は、晩酌がてら足を運んでみてはいかがでしょうか。