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胸が熱くなる青春の物語 『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』(現代書館)感想

 黒田龍之助氏のエッセイ『ロシア語だけの青春 ミールに通った日々』を読みました。非常に胸が熱くなる一冊でした。黒田氏が高校生の時にミール・ロシア語研究所に通い始めた頃の話から始まり、2013年の同校の閉校までが綴られています。

 黒田氏がどのような姿勢でロシア語学習に臨んできたのかという変遷が丁寧に描かれていて、自分も頑張ってロシア語を学習しようと背中を押してもらったような気持になりました。黒田氏の著作はどれもそうなのですが、熱意が不足している人を責めるのではなく、励まして元気にさせてくれます。自身の勉強について語るときも、全く嫌味がなくて、優しい追い風になってくれます。

 また、この本はミールで行われていたロシア語教授法の記録としても、ロシア語の学習法の記録としても価値があると思いました。「外国語学習では一時的に頭を空っぽにする必要がある」という話は非常に納得するところがありました。武道の稽古なんかも同じだなあと思ったりしました。

 プロローグで「混乱する現在の外国語教育をもう一度考え直すため」と記されている通り、所々で外国語を学ぶことについての黒田氏の考えも示されています。非常に共感するところがありました。

 

大学だけではない。世間だって、外国語学習には見返りを求めるのが、ふつうとなっている。その最たるものが資格試験だ。外国語はスポーツのように、級やスコアを競うものになってしまった。資格がなければ、自分の実力が示せない。外国語能力は、人に見せびらかすものらしい。

 

お金が儲かるわけではない。仕事が見つかるわけでもない。資格が得られるわけでもない。そもそも卒業なんて果たしてあるのか。いつまで経っても先があり、最終クラスの研究科は、ほぼエンドレス。外国語の勉強は、無限に続くのである。

 

 印象的な教え子として黒田氏の心に残っているという、ホリグチくんとムトーくんという二人の高校生にまつわるエピソードも素敵でした。

 

大切なのは、高校を離れて活動したことである。

最近の高校は、いや大学までもが、生徒のためにすべてをお膳立てしてしまう。勉強以外にも、部活やサークル、ボランティア活動、海外留学など、学校に頼っていればなんでも経験できるコースが、整いすぎてしまった。教師はそれが当然として受け止め、保護者は面倒見のいい学校に期待する。

それは間違っている。

学校が用意してくれたコースで、どんなに積極的に活躍したところで、そんな経験は所詮、お釈迦様の掌の上にすぎない。失敗はしないけど、何をやっても想定内、無難なものしか得られないのである。

 

 このエピソードを読んで、自分が高校の時になぎなたを習っていたときのことを思い出しました。なぎなたを習いたいけれど自分の学校にはなぎなた部がなくて、県のなぎなた連盟などに必死に電話をかけて、練習ができる環境に潜らせてもらった思い出。しかも、なぎなた連盟のホームページに載ってる電話番号に間違いがあって、どこかのご家庭に何度も電話してしまってひどく怒られて、泣きそうになりながら謝ったりしたのでした。

 自分の「足」で探し出した環境で学んだことというのはいつまで経っても忘れられないもので、身体に染みつくものだと思います。そういう学び方が継承されにくくなってしまっている現状は、とても残念なことだと思いました。

  本の最後、ひたすら発音して暗誦する学習法について、「わたしはそれ以外に知らない。本当に、知らないのである。」と黒田氏は述べています。氏の積み上げてきた訓練の日々に対する、誇りを感じる言葉でした。私も黒田氏にロシア語を教わりたいと思いました。ミールで習うことができた人々が心の底からうらやましい。

 読みながら何度も感動して、私にとって一生大切な一冊になると感じました。

  

 

教育現場で教え学ぶことの記録という意味では、石原千秋氏が書いた『学生と読む三四郎』とよく似た感触の本だと思いました。こちらも名エッセイです。 

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)

学生と読む『三四郎』 (新潮選書)