世界が交差する5thアルバム おやすみホログラム『5』
アルバムのテーマに関しては、作るときにまずは自分に「縛り」をかけるところから始めるんですよ。1stだったら、予算をかけられないから、汚い音にしてその中で良いものを作る。『2』だったら打ち込みを入れる。『・・・』の時には、バンドセットを解体したから、振り切ってバンドゼロにしてギターも全く使わないっていう作り方をしたんです。『4』は、ギターを弾くっていうのがテーマ。(中略)(『4』は)一番良いアルバムにしようというところから始まったから、音楽的に攻めるというよりは、曲が良くて二人の声がちゃんと聞こえるアルバムにしようと思った。だから、作り方は1stアルバムとけっこう近いんだよね。曲の並びとか。最初にバンドの曲があって、それから打ち込みがあって、みたいな。1stアルバムをアップデートしたような作り方をしたんです。(『4』試聴会のオガワコウイチの発言より)
本エントリでは『5』収録曲の歌詞について、おやホロがこれまで発表した楽曲との関連性などを見出すことを中心的な作業としつつ、読み解いていきたい。
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— おやすみホログラム (@oysm_hologram) 2019年6月4日
ついに本日からリリースワンマンツアー開始!!
6/4(火) 東京 TSUTAYA O-nest
開場/開演 19:00/19:30
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燃え落ちた君の世界の淵に立って君の口癖を思い出した変わっていく世界は僕だけ残して今日も廻り続けているんだ「happy songs」
燃え落ちていく星の軌道上に浮かぶ見覚えのある顔が僕を笑っていたんだ「ニューロマンサー」
そんな風に今も僕をすり減らしてるそんな風な僕を置いて廻り続ける(中略)君を乗せて廻るその世界では僕が手を振る世界は見えるかな「iron」
また、『5』の8曲目の「そんな光」には「世界の淵」とよく似た「世界の端」という言葉が登場する。さらに、「燃え続ける」という言葉も使われている。これも、「happy songs」内の「燃やし続けていく」のフレーズと意味が近しい。新曲同士の間でも、世界観の響き合いが見られるのが、今回のアルバムの特徴だと言える(これまでもずっとそうだったのかもしれないけど)。
僕らは燃え続ける
世界の端に座って
それから手を伸ばした
掴めるかな
「そんな光」
廻り続けていく終わらない世界で
何か見つけて無くしてまた探して
燃やし続けていく
頼りない僕の指先に残った消えそうな光
「happy songs」
燃え落ちた君の世界の淵に立って
「happy songs」
タイトルに「happy」という言葉が使われているのとは裏腹に、詞の内容はとても切ないのだが、終盤の「終わらない世界で何か見つけて無くしてまた探して燃やし続けていく」という決意の言葉はとてもポジティブで、胸を打たれる。「焼け野原」のような音楽業界を引っ張っていくぞ!という決意表明のようでもあり、頼もしい。
happy songs [おやすみホログラム] 2019/05/19 アベンズVSおやホロ@下北沢ERA
3曲目の「dancing in the pool」は、おやホロの曲の中では珍しく、歌詞に季節の名称が登場する作品となっている。「真冬のプール」というフレーズがあるが、「冬」という言葉が登場するのは「note」(※「僕のモノクロームの世界が淡くにじんだ冬の日」というフレーズがある)以来おそらく2曲目である。この曲の詞世界は「note」とつながりがあるのだろうか。歌詞の内容を見てみると、「note」との関連性をうかがわせる箇所が確認できる。例えば次の部分。
君がどんな風に話したか覚えてる
「dancing in the pool」
君がふとかさねた色とか、遠くを見る仕草や捨ててしまったノートが、思い出になってたまるか「note」
何かを「覚えていること」が表明されるのは、おやホロの歌詞では珍しいことである。ここでは、「君」の話し方を覚えているということが述べられている。これは、「note」における、「君」の「仕草」(「話し方」も仕草の一種だ)を忘れまいとする「僕」の態度が貫かれた未来の話のように読める。
また、次のフレーズでは「happy songs」で使われているものとよく似通った表現が使われている。さらには、『4』に収録されていた「世界の終わり」に通じる表現も見られる。
この不完全な世界で僕らまだ気を遣いあって呼吸をしてる「dancing in the pool」
世界は不完全でこの声だってきっと君に届かずにほどけていくんだ「happy songs」
君と目配せをして僕は呼吸をしてる「世界の終わり」
どうやら今作では、曲同士が一対一で対応しているアンサーソングというものは稀で、複数の曲の世界観を積極的にクロスオーバーさせていくような作詞が試みられているようである。海外ドラマの「ワンス・アポン・ア・タイム」で、複数のおとぎ話(fairytail!)の登場人物たちが混在する世界が描かれていたように。
通り過ぎてくナイトランナーいつの日から夜を駆けてる「fire」
君を飲み込む火が僕の手を掴んだほら、夜はまだ僕の手をまだ離れない「fire」
あの人は眠らない、一晩中走ってる
気持ち悪い空気の膜の中、走るしかない人
「夜走る人」
ナイトアンドファイア
「ghost rider」
愛を燃やした後にできた世界はねえ、なんか都合のいい世界に見えたんだ「ghost rider」
ところで、ゴーストライダーと言えば、同名のアメコミやそれを原作とする映画も連想されるが、何かしらのインスパイアを与えているのかもしれない。
6曲目「neon」は、「君」が描いた「絵」によって、他の楽曲たちとつながっている。ここでも、3曲以上のクロスオーバーが確認できる。思いついた顔で君が描いた下手くそな街の絵の中を「neon」
君の描く下手くそな絵はすぐに滲んでいった「friday」
見覚えのない列車に僕は揺られて遠い部屋とタイヤの焦げた匂い「awake」
なんでも定員オーバーホームに焦げたタイヤの匂い「天使」
「awake」の詞は、「天使」であの世(?)に行ってしまった人の視点で描かれた物語なのだろうか。ここでさらに、「iron」で歌われていた死生観のような一節を補助線として引けば、「awake」と「天使」のつながりは確信に変わる。
あくびをした見覚えのない列車に僕は揺られて「awake」
なんだかこの世界は一瞬の夢で眼が覚めるのを待ち続けてる「iron」
「awake」とはすなわち「目覚める」ことであるわけだが、一つの生を終えて次の生(「生」とは言えないものかもしれないけれど)の目覚めを迎えたばかりの「僕」であるからこそ、 始まりの仕草は「あくび」であり、自分が乗っている列車には「見覚え」が「ない」のだろう。
9曲目「ラストシーン」は、「ニューロマンサー」から連なる作品群の最新型だと思われる。「iron」よりもさらに後の話で、「僕」が、月に行ってしまった「君」とどこかで再会を果たしたようだ。
気づけばこんな場所に立って
変わらない君と踊ったり
相変わらずさ
下手なステップで歪んだ円をただただ残した
「ラストシーン」
少し急ぎ足になって
月を追いかけるような
頼りない僕のステップじゃ
どこにも行けないな
「iron」
アルバムのラストを飾る「ワンダーランド」は、「ダンス」があり「夜」があり「消えそうな僕の影」があり、オガワコウイチらしい世界が描かれている。ここまでくると、何か意味がありそうな言葉をいちいち拾っていくのもアホらしくなってくるようで、 あとはもうライブに足を運んで、ぐちゃぐちゃとした幸せな箱庭の中で何も考えずに踊るのが正解な気がしてくるので、これで本エントリはおしまいといたします・・・。