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いま文庫化されることの意味 神田山陽(二代目)『桂馬の高跳び 坊っちゃん講釈師一代記』(中公文庫)

 神田山陽(二代目)『桂馬の高跳び 坊っちゃん講釈師一代記』(中公文庫)を読みました。タイトルにあるとおり二代目神田山陽の自伝となっています。関東大震災が起こる前から振り返っていくのですが、この序盤からいきなり引き込まれました。当時の寄席の匂いまで伝わってくるような、非常に貴重なその時代の空気感が文章に刻まれています。

桂馬の高跳び 坊っちゃん講釈師一代記 (中公文庫)

桂馬の高跳び 坊っちゃん講釈師一代記 (中公文庫)

 大変な苦労を重ねて、私財をこれでもかと投げ打って寄席を建て直しながら、自身の芸を磨いていく人生は、ちょっと嫉妬を覚えるくらい素敵です。他方で、ヤクザ者に対するただならぬ怒りも深く深く込められています。特に、彼がとことん搾取を受けた山春に対する怒りを中心に。 上手に言葉を選んで自伝は展開していきますが、山春に対する怒りや恨みの深さはどこまでも伝わってきます。人が一途に突き進もうとしている芸の道を食い物にするような輩とは手を切らねばならん、という後に続く芸人たちへの戒めのようにも響きます。

 今回の文庫化に際して、解説を当代の神田伯山氏が務めています。神田伯山と言えば、講談ブームを巻き起こし、今ノリに乗っている芸人です。私も彼の芸がとても大好きで、彼のYouTubeチャンネルも欠かさず観ています。二代目神田山陽は、彼の師匠である神田松鯉のそのまた師匠に当たる、いわば当代伯山のおじいちゃんに当たる大師匠です。


【密着#01】松之丞が六代目神田伯山になった日【毎日更新】【神田伯山ティービィー】

 神田伯山は、自身の襲名披露興行の際の模様を、楽屋の様子も含めてコンテンツ化し、毎日YouTubeで配信をしました。いままで一部の通しか知らなかった魅力的な師匠たちの様子も余すことなく配信し、新たな寄席のファンを作り出すことに成功しました。本人も青春時代を寄席通いで過ごしたということですが、これほどの「孝行息子」があろうかというレベルの恩返しを寄席演芸界に続けています。現代の寄席演芸に大量のお客を動員している芸人さんの一人です。

 さて、二代目神田山陽によるヤクザ者への怒りを感じる一連の章を読みながら、「あの時のアレはこういうことだったのか!」と膝を打ったことが一つありました。以前、「神田松之丞がいざなう講談の美学」(NHKFM、2020年1月4日)という番組で、伯山さんの師匠の松鯉先生がゲストで登場したことがありました。番組の後半で侠客モノの話題になったとき、松鯉先生がちょっぴり凄味のある、強い実感がこもったような口調で「あたしは認めないんです、やくざは。」「反社会はあたしは絶対に認めません。」とおっしゃいました。それまでの話の流れだと、「侠客はいわゆる現在の反社とは違う」「今の価値観で裁きがちだ」といった発言が出ていて、少し肩を持つような流れで来ていたところに、ヤクザの存在をキッパリと否定した松鯉先生の発言があったのです。アナウンサーや、もう一人のゲストの評論家の方も含めて皆静かになって、一瞬番組の空気がピリッとしたかのような瞬間がありました(本当に注意深く聴いていないとわかりにくいけど)。あのときの松鯉先生の発言には師匠の半生を知ってこその強い共感と義憤が込められていたのだろうかと思うと、とても深く納得できました。


神田松之丞がいざなう講談の美学  NHKFM 2020年1月4日放送

 歴史を紐解けば、古典芸能の協会が一枚岩になりにくい部分にも、利権を握っていた古い興行師の棲み分けがルーツの一部であるという事実は否めません。もちろん、近代以降の分裂騒動はより複雑な事情を孕んでるわけですが。しかし、この二代目神田山陽による自伝には、今を生きる芸人たちへの、「みんなで一つになって芸を伝承して裾野を広げていくべし」との強いメッセージが込められているように思います。この本を、演芸界の「孝行息子」である神田伯山氏が解説を担って、今の時代に世に送り出したことの意味は、非常に深長であると思いました。伯山氏は、落語や講談の魅力はまだまだこんなもんじゃねえぞ、という熱い思いを腹の中にたっぷりため込んでいる。だからこそ現状に対して歯がゆさを感じている部分があるのではないか。その一端に触れる読書体験でした。

 ネットにはいまいち感想などが転がっていませんが、もっとたくさんの人に読まれ、より多くの人の感想が読んでみたい一冊だと思いました。


【講談】神田伯山「吉岡治太夫」in 浅草演芸ホール(2020年2月26日口演)

 

 最後に、解説で伯山先生もこすっていましたが、三代目神田山陽が講談の世界に帰ってこないのはやはり巨大な損失だと思います。私なんかは80年代中盤頃の生まれですが、幼少時代のテレビの視聴経験において、「にほんごであそぼ」に出演していた三代目神田山陽の名調子はいまだに鮮烈に記憶に残っています。当代伯山先生よりも早く講談ブームを巻き起こすことができたかもしれない傑物であると思いますし、現代の講談界を彼らで牽引していくような令和の芸能界を見てみたいと思っているファンは多いかもしれません。

 

予期せぬ夜 2020年12月18日(金)Takaaki Sano &hachi(八月ちゃん)「写真と絵」オープニングイベント@JOINT HARAJUKU 感想

 こんなに早く開催される日が来るとは思わなかった、八月ちゃんの絵描きとしての側面が発揮されたイベントに行ってまいりました。数週間でトントンと話が決まった展示だということで、そのスピード感に驚きました。トークの中で述べていたのですが、「次はもっとちゃんと準備してやりたい」という想いを八月ちゃんは抱いているようで、そういう意味では、今回の性急さは、逆に次へのモチベーションを生み出す良い機会になったのではないかと思います。「完成」に対する恐れを抱きがちな表現者にとってはなおさら良い刺激になったのではないかと。腕一本で食べている様々な人たちとの化学反応をもっと見たくなりました。

 今回の展示はもともと、Sanoさんの個展になる予定だったのですが、たまたまネット上で八月ちゃんのことを見かけたSanoさんが声をかけたことによって二人展が実現したとのことです。彼は八月ちゃんのグループ所属時代のことを全く知らず、YouTubeチャンネルでたまたま八月ちゃんを知ったそうです。彼が本当に何も知らないということはトークイベントの端々に現れていました。

 しかし、オープニングイベントとしてお金を取ってトークをやるからには、八月ちゃんの美術イベント遍歴くらいはきちんと調べてから本番に臨むべきだろうという苦言も呈したくはなりました。八月ちゃんがせっかく良い話をしようとしているところに、無知ゆえの話題破壊が何度も見られたので。ただ、文脈を全く知らない人による八月ちゃん入門を客観的に観ることができたという意味では、今回のイベントはまったくの無価値ではなかったと思います。ですが、それを差し引いても、まともな司会を立てて、まともに話を聞く機会が改めて欲しいなという感想は残りました。この物足りなさは、おそらく本人も胸に秘めていると思うので、またの機会がとても楽しみです。彼女が何をしたくて、彼女を応援する者は何を観たい/聞きたい/知りたいのかということを各々が整理する夜になったのではないかと思います。ATフィールドを易々と乗り越える社交性を持ったSanoさんに乾杯!

 イベントの前半はミニライブでしたが、八月ちゃんの世界観が存分に展開されてとても幸福な時間を過ごすことができました。後半のトークイベントは、おそらく極度の緊張によってSanoさんがお酒を召し上がりすぎてしまい、若干事故りかける場面もありましたが、おおむね楽しいひと時となりました。会場のスタッフさんが全員めちゃくちゃ優しくて感動しました。

 今はまだ、何らかのメディアでインタビューがなされる機会はなかなか訪れにくいかと思うので、それこそ八月ちゃん自前のYouTubeチャンネルにも注目しながら八月ちゃんの表現に触れて、その活躍を応援していきたいと思いました。

 バイクに乗って全国ツアーをするために、持ち曲を増やしたいと語る八月ちゃんは頼もしくてかっこよかったです。また、無理なく表現活動ができていると最近の心境を述べていたことを嬉しく思いました。

 

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